とつさんの闘病記(1)頚椎椎間板ヘルニア、後方椎弓形成術、脳脊髄液減少症、プラットパッチ治療

  頚椎椎間板ヘルニア 頚部脊柱管狭窄症 手術(後方椎弓形成術)
 低髄液圧症候群(脳脊髄液減少症) ブラットパッチ治療 (30代前半 男性)  


■ 2004年の7月 発症
  朝ふと目が覚めると首を寝違えたのか痛くなりました。まっ、いつもの事でしょうと考え普通に仕事をしていました。
三日経って何故かすぐ治るはずの寝違えがまだ続いていて、車のバックの際に首を後ろに向ける姿勢が辛くなっていました。
一週間ほど過ぎ、まだ何だか首が痛むので仕事の帰りに近所の整形外科で診てもらう事にしました。
レントゲンの結果首の骨が真っ直ぐに写っていて、医者は姿勢がよくないとか首をかばっているから前傾姿勢のようになっているからだと言い、肩もすごく張っているからという事で、首の周辺に電気をあて温めてから肩のマッサージをするという事をこの日から週二日くらいのペースで行いました。
痛みはだいぶなくなってきている感じで、会社のゴルフコンペや友人とかと普通に遊んでいました。首の痛みはわずかですがありました。
そして、一ヶ月が過ぎた8月10日の朝に会社にて急に激しい吐き気と立ちくらみ>のようなのが襲ってきて、暑いのに汗も引いてきてその場でしゃがみこんでしまいました。
周りの人は貧血だよといってちょっと休んでいれば平気だと言いますが、自分の中ではこれはかなりまずいと判断して、ふらふらになりながら会社近くの病院に連れていってもらいました。
医者に症状を訴え診断をしたが、血圧も特におかしくないのでとりあえず点滴をしてベットで横になりました。
最近首が痛かったと告げると整形の先生にも診ていただく事に。
結局ここの病院ではわからなかったせいか、肩はすごくこっているしストレスとかたまっているんだと思いますよ〜としばらく休めば治るとの事でした。
帰る頃には点滴の効果があったのか元に戻っていました。
会社からは三日ほど休んで様子を見てみろという指示でした。次の日またこの病院を訪ねリハビリ科で肩のマッサージと前日受けた点滴をして帰りました。
そして次の日の昼間に自転車でコンビニに買い物に行く途中、こめかみのあたりがズキンっとしたかと思うとまた激しい吐き気ふらつき、今度は頭痛もしてその場でまたしゃがみこんでしまいました。
これは疲れやストレスなんかじゃないと思ったが、今度は外だったので周りに知り合いがいるわけでもなく、近所の内科の病院に駆け込んだ所「めまいや吐き気や頭痛ですと脳神経外科で診てもらった方がいいのでは?」と診断を断られ、ふらふらで必死に紹介された総合病院にたどり着きました。
丁度昼休みで診察は待ってもらわないといけないと言われたが、少しして顔色の悪い私をみた看護婦がベットを用意してくれ、症状やいきさつなどを説明してベットの上で点滴を受けながら診察を受ける事になりました。
数時間が経ち点滴も終わり、先生にあって説明すると丁寧にこまかく話しを聞いてくれました。そのまま頭のCTを撮り、説明を受けた後で腰から脊髄液>というのを採取しました。この日は動けずでタクシーにて帰宅しました。
そしてこの日から私の病気への苦悩が始まったわけです。

頭のCTと脊髄液の方にも問題はないとの診断でした。
この時上を向くと右側の肩から電気が走ったような衝撃もありました。
先生は結局肩がすごく凝っているし、緊張性頭痛という診断で筋肉の緊張をとる薬、頭痛、めまいの薬をいただいて、2週間後に頭のMRIの予約をして帰りました。
一週間後にもう一度こちらの病院へやって来ました。
予約は2週間後の検査だったのですが、夜突然目が覚めるとめまいがして、吐き気などが起き、頭がものすごく痛くなったりしていたのでそのことを言いに来ました。
首や肩も痛むということでその日はこちらの病院の整形外科で診察となりました。
レントゲンを撮り、先生は「いわいるストレートネックだね」と以前の先生と同じ事をおっしゃいました。
ストレートネックの人は緊張性頭痛になりやすいと言い、やはりMRIの結果を見てみないと何とも言えないとの事でこの日は夜やあまりにも絶えられないようならばという事で座薬を5個もらって帰りました。
眠れぬ日々や気分の悪さで会社も午後から行ったりしてなんとかやっていました。時折一人で雲の上を歩くような感じになったり収まったりの繰り返しの毎日でした。
夜また起きて気分が悪くなるのではと寝るのがとても怖かったです。

 

■ 8月 MRI
  8月の終わりに遂に頭部のMRIの検査の日が来ました。
いっときの辛い症状も収まったりおかしくなったりの繰り返しで、機械の中に入って行く時は頭に何か出来ているんではと緊張していました。
そして検査の三日後結果がでました。
検査結果では異常はないとの事。頭に異常はなく安心したが、ではいったい何なんだ?と不安にもなりました。
緊張がどうとかでこんなに突然自分の体がおかしくなってしまうのか?と不安になり、薬を飲んでいてもとても効いてるとは思えず、ただ予測不能な症状におびえながら過ごしていました。
相変わらず、めまい、頭痛、吐き気などはほぼ毎日あり仕事中でも何度か休んだりしながら取り組み、休みも目立つようになっていました。
時々ぴくぴく血管が痙攣したり、後頭部の辺りに湿疹みたいのがよく出来ました。
一応薬をもらいに週一くらいで病院を訪れやたら目が痛むので、眼科へ行く事にしました。
右目の眼圧が高いのと、乱視が出ているので眼底検査を行うとの事でした。
目は悪くはないし、あまり気にしていなかったが目から肩こりとかも聞いた事あるし、原因は目かも知れないと思いはじめました。
一週間後に目の検査は行われたが、これまた大丈夫との事で目の調整をする目薬をもらい帰りました。
上をむくと首から肩に電気が走るような痛み、頭痛、吐き気、ゆらゆらするめまい、船酔いみたいな症状は毎日のように襲ってきます。
不安な毎日で調子の悪い日に病院で診察を受けるとまた来たの?という顔でどうしてほしいですか?などと嫌な顔をされるようになってました。
薬を飲んでも効かないし、症状も改善しないので大学病院を紹介してくれと頼みました。
季節はもう10月でした。
緊張性頭痛だと言われて、ここまで何の改善もないまま辛い日々を送る毎日だったのです。

■ 大学病院へ
  大学病院の紹介状を書いてもらった先は「緊張型頭痛」との診断だった為、神経内科で診てもらう事になりました。
私自身大学病院は始めてで、初診で予約も無い為半日待ちました。
ようやく自分の番になり、紹介状をみた先生は一応のいきさつと今現在辛い症状は何ですか?と聞かれました。
頭痛と吐き気にふらふらするようなめまいと目が痛くなったりしますと答え、緊張型頭痛という診断は間違ってはいないとの事でした。
めまいに関しては耳鼻科首が痛かったりするのは整形外科で診てもらって下さいとの事で、今まで飲んでいた薬に似たようなものを処方されました。
どちらかというと、めまいがずっとしている事の方が嫌だったんで耳鼻科を受診しました。回転性のめまいなのかとかどのような時にめまいが起こるかとか詳しく質問されましたが、特に関係無くめまいが起きている為めまいの検査を2週間後にする事になりました。この2週間の間に整形外科も受診しました。
どこの科も初めてなので予約も無い為、いつも数時間待たされていました。大学病院と言うのはやはり混んでいるんだな〜というのが感想です。
整形でもやはりレントゲンを撮り、今までと同じような診断結果でした。
首を上に向けると右の肩に電気のようなものが走り、何か神経がぶつかっているのでは?と先生に訴え首のMRIを撮ってもらう事にしました。
大学病院ではMRIは一ヶ月ほど待つので付属の病院で検査だけしてもらって下さいと、紹介状をもらいに2週間後になりました。
検査をして、週に一度しか先生はいない為すべての結果を聞くまでに3週間くらいかかります。
めまいの検査の日になり目隠しして文字を書いたり、目をつぶって台の上に立ったり、左右に動く光の線を目で追いかけるといった検査でした。
数日後、付属病院にて頚椎のMRIを撮りました。
予約の入っていた神経内科の先生に会い、この先生には「いつもどうして頭痛がするのか」とか、こういった状況でもめまいはありますとか、紙に書いて説明してくれたりしてくれていたんで先生には月に一度のペースで予約を入れてもらい薬をもらっていました。
主に頭痛、めまい、緊張、夜眠れるような安定剤のような薬でした。
ようやくめまいの検査の結果が出る日になり、検査結果は右の平行感覚が若干ずれているとの事でそれが何故起きているかはわからないようでした。
耳や脳からくるようなメニエル病なんかだとくるくる回るような症状が出るらしく、私のは非回転性なので該当しませんでした。
現在首も痛むので調べているというと、首からくるめまいもありますと言われ一応耳を調べて終わりました。
メニエル病なんかに効く薬というのをいただき飲んでみて下さいと言われ、一ヶ月後に一応予約を入れました。
この頃私の右手の親指の第一関節の部分だけ痺れていました。
特別、初めの頃にあった激しい吐き気やめまいは落ち着いてるものの、毎日何かしらの症状が出ている日々を送っていました。
いよいよ、首の検査の結果が出る日になり画像を見ながら先生は特に問題はありませんと言われました。
一箇所だけ出っ張ってる部分が私の目でもわかったので「これは何ですか?」と訪ねると、「これは治りません」とだけ。一体何なのかすら教えてもらえませんでした。
「7年位前にムチ打ちを一度やっているのですがそれが原因ですか?」と訪ねると「それは関係ありません」と言われました。
そもそも、自分よか若い先生でこの人で大丈夫かな〜という不信感はありました。
最近親指の先だけ痺れるのと、上を向くと右肩に電気のようなものが走ると伝えると、反射のテスト握力計などをやりましたが異常は見当たりませんでした。
耳鼻科の先生に聞いたのですが首からもめまいが起こると言う事を訪ねると、カラーをいただきました。(首に巻くコルセット)
具体的な説明も無く、「近所のリハビリ施設があるような所で牽引をやってみて下さい」と言い、近所の以前行っていた整形外科にそういうのがある事を告げると紹介状を書いてくれました。
こうして、11月の中旬より牽引を始めました。私は特に牽引をして痛みなどはありませんでしたが、ひっぱってる最中にもめまいは起きてました。
これを続けていって治るのかといつも思っていたので、あるチラシをみて整体カイロに興味を持ちました。

■ 整体・カイロ
  新聞の折込広告の整体の紹介に目を奪われました。
内容は「病院に行ってもなかなかよくならない人原因がわからず苦しんでいる方はまずはご相談を」とこんな感じでした。今までマッサージなどを受けた事はなかったし、とりあえず電話して話してみると、頭痛やめまい、吐き気や体の痛みも取れますというので、さっそく行ってみました。問診表のようなものに症状を書き、一番辛い症状は?と聞かれたのでめまいと頭痛と吐き気だと答えました。
ベットの上に横になり体を先生がさわると「体がかちかちですよ!これでは血液の循環も悪いしコリもひどいのでそんな状態になりますよ」などと言われ、体を足のほうから順々にマッサージし始めました。
痛いのは首なのですが全体的な体をほぐさないといけないとの事で、全身をやった後低周波、ぶるぶるするもの、ローラーみたいなのを1セットとした治療でした。
しばらく通ってもらうとの事で2週間ほぼ毎日通い、マッサージを受けてました。
この頃毎日のめまいに寝不足や吐き気などの症状で会社を辞める覚悟で仕事をしばらく休んで治療に専念したいと報告しました。
整形の牽引も同時に続けていました。しかしながら、マッサージを受けてもそんなに症状がよくなる事もなく、保険が効かない為毎回五千円の支払いにお金がもったいなく感じてやめてしまいました。
で、次に行ってみたのはカイロでした。先生は首をぽきぽきっとやるのと、道路工事のようなダンダンダンっと振動が来る何かを背中から首にかけて当ててました。
しかし、こちらの治療院で私は2度目の治療を受けた後、すごく気持ちが悪くなってすぐにやめてしまいました。
首への振動がすごく気持ち悪くなってしまい、普通に首周りだけをマッサージしてくれる所を探しました。
そして、週に1.2回ペースで首や肩をマッサージしてくれる所へ通いました。
どこへ行っても、すごくこってますとかひどいと言われるばかりでした。実際さわって痛いところも多かったように思います。
知り合いから腕のいいと評判の先生に診てもらえる事になり、2度目のマッサージの時に先生が「めまいは耳鼻科だし、吐き気などは内科になるかもしれないけれど、首動かして痺れがあるのであれば、違う病院で一から診てもらった方がいいと思う」そう言われ、割と検査器具などが揃っている総合病院へ診察に行きました。
脳神経外科の先生に診てもらい、腕のしびれは首からくる事が多いのでまずはレントゲンをとり、一週間後に頚椎のMRIの予約をしました。
2度目ですが、大学病院よか早く診てもらえるんだ〜と始めからこちらで診てもらえればよかったと感じました。
マッサージをしたからといって何も症状も変わってこないし、牽引も効果があるのかわからない状態のまま、検査をしました。
数日後、結果が出てここで初めて「頚椎の5,6番目にヘルニア>があってこれが神経にあたってしびれが出るんでは」と、ちゃんとした病名を聞いた感じがしました。
大学病院の先生はヘルニアなどと一度も言わなかったと告げると、あまり大きくはないのでそのように言ったか勉強不足ですと言われました。
この言葉を聞いて、やっぱり見た感じ若い先生だったし何なんだよ〜と怒りさえしました。緊張だのコリだの言われ他人には症状が理解してもらえず、ようやく病名がわかり精神的にもほっとしたのは年末の12月の27日の事でした。
頚椎のヘルニアという病気は実際知らなかったし、この病名がわかるまで発症して5ヶ月かかった事に腹もたったが、こうしてようやく頚椎椎間板ヘルニアという病気と向き合うことになったのです。>

■ 2005年に入って
  年末にようやく頚椎ヘルニアと診断を受けたものの、新年早々の診察では今のまま牽引を続けめまいや頭痛や吐き気に関しては薬をだすとの事で、次からは整形外科での診察になりました。
ここまで、はっきりとした病名が(納得のいく診断)出る間、何故めまいや吐き気、痺れなどがあって、毎日辛いのに原因が解るまでこんなにかかったのかとか、いらだちや不安の毎日を何とかやってこれていたのも彼女の存在があったからかもしれません。
会社の派遣で来ていた年下の女性とスキーなどへ行って仲良くなり、彼女が会社を退職する事になり、もう会えないんだと思って猛烈なアタック?をされ、こんな私に好意を持ってくれて春先よりお付き合いした女性がいました。
とはいってもこの数ヶ月後には私はこのおかしな症状で、外出はおろかわざわざご飯を作りに来てくれたり、メールでも気持ち悪いとかふらふらするとか愚痴ばかりで、それでも一緒にいてくれた彼女には感謝な気持ちでいっぱいでした
整形外科に診察した際に、担当の先生より上を向いて右腕がしびれるのはこのヘルニアが原因だとも言われました。ただヘルニアの大きさに関しては大きくないとの事。
同じような診断でしたが、めまいや吐き気を訴える方もいらっしゃるとの事でヘルニアさえ治ればいいんだ〜と思っていました。
この日頭痛がこめかみや後頭部まで痛いと告げると、ミオナールという薬からパキシルというもう少し強い薬に変わりました。
数日後の朝、いつものようにおえって感じで目が覚めた後、股の下あたりから何だかじわじわ熱くなってきて体がじんじん痺れてきて腕以外はほとんど麻痺状態のようになり、喉がすっごく渇いて体が動かなくなりました!
ついに首から麻痺につながったのかと、携帯電話で救急車を呼びました。
ピーンと体が突っ張った状態で、救急隊が来たのはいいがうまく動けずアパートの玄関の鍵を開けるのにほふく前進でした。
明け方6時頃の事で、今通っている総合病院へ連れて行ってもらい頭のCTをとり、血液検査をして点滴を受けて横になったままでしたが意識はありました。頭には異常がなく、血液検査からカリウムという数字が平均よか下回っている事がわかり、「変な物を食べていないか?」とか、「調子が悪いからといって健康ドリンクばかり飲んでいるのでは?」と聞かれました。思い当たる事はなく、昼頃には麻痺がとれ先生より「周期性四肢麻痺」(しゅうきせいししまひ)という病気があるので、神経内科で診てもらって下さいとの事でした。
こちらの病院では神経内科がないのでいつも行ってた大学病院の先生に診てもらいました。甲状腺の血液状態ってのでわかるらしいのですが、この日の検査ではカリウムの数値も甲状腺の数値にも問題はありませんでした。
薬も飲みあわせによってはだめな物もあるのでと言われ、大学病院の神経内科で処方された薬や総合病院の整形外科で処方された薬が数種類あったので、こちらの大学病院の先生に出された薬を飲む事にして、あとは一度処分しました。
飲んでても効き目があるわけでもなく、気休めみたいなものだったので。
そして、この日こちらの大学病院の先生より、「低髄液圧症候群」(ていずいえきあつしょうこうぐん)という病気の話を聞くことになったのです。

■ 低髄液圧症候群
  大学病院の先生がこの病名を出した時に、以前交通事故やスポーツなどでムチ打ちになった人がなりやすく、こういう病気が今ちょっと話題になっているんですとの事でした。
この病気で一番有名なS医師の病院に紹介状を書いてもらい、家に帰ってきてこの病気の内容をパソコンにて検索してみると、脊髄液が何かの衝撃により漏れる事で、頭痛めまい手足や肩のしびれ痛み吐き気などが出るといった病気だとわかりました。
まさに自分の症状とピッタリだと思い、こちらの先生が本を出していたので取り寄せて読んでいても、過去の患者の経験談や実際先生が何度もムチ打ちになり、同じような症状に苦しんでいた事が記されており、頚椎のヘルニアの手術もする先生との事だったので、この先生しか自分を理解してくれないと思うほど興味を持ちました。
さっそくネットで先生が診察している日を調べて、頚椎のMRIと一番始めの時にとった脊髄液の検査結果のコピーをそろえ病院に向かいました。(本の内容にて過去に画像や髄液の採取などを行った事がある方は持参して下さいとの先生の要望があった為)
病院に着いてしばらくすると担当の人というのが代わりに出てきました。
その方が言うには診察は出来ないとの事!理由はテレビやマスコミで話題がすごく、遠方より患者が集まってしまい、予約が凄いとの事。また3月以降こちらの病院に先生がいるかどうかも決まっていないので、今は予約も出来ず春にならないとわからないとの事で結局何も診て頂けないまま帰ってきました。
と同時に自分と同じような症状で苦しんでいる方って多いものなんだな〜と感じました。
一般に事故とかで首とかやると何年かしてから症状がでる、いわいる後遺症のようなものは我々普通の人間は口にしても、先生方はそんな事はありえないと口を揃えて答えます。
診察はあきらめ、本の内容で頚椎のヘルニアで私のように頭痛や吐き気やめまいなどで苦しんでた人が、ヘルニアの手術をしてよくなっていると書いてあった文を思いだし、総合病院の整形外科の先生に相談してみました。
そして、大学病院の東病院という同じ系列の少し離れてある場所の方の病院に、実際脊髄に詳しい先生がいるので訪ねてみればとのことで紹介を受けました。
これまた、6時間という待ち時間をかけレントゲンを撮り、持って行ったMRIを先生が見て、こちらの先生はヘルニア自体は大きくないし、たいしたことはないので保存治療で充分、問題はこの左右の穴が違うのがわかりますか?と画像を指差しました。
たしかにその画像には右と左の穴の大きさが違い、これは頭に行く血管が通っている穴であなたの場合片方の血液の流れが悪いと言われ、今度は大学病院の脳神経外科に診てもらう事になりました。
また痺れに関しても、実際どこの神経がやられているかわかる筋機能検査というのも行う事になりました。
大学病院にもどり筋機能検査というものと、実際頭にどれだけの血流が流れているかを調べる脳血流シンチという検査に、頚椎から頭にいく血管を映し出すMRAという検査を行う事になりました。
また首の画像をとり、針を腕や手のひらに刺して電流を流す検査に、前日より何やら液体を飲み腕の血をとって逆の腕にその血を流すといった検査を一ヶ月くらいかけてすべて行いました。
結果・・・今すぐどこかを治さなくては行けない所はないとの診断でした。
何を調べても、これが原因だと言う証拠がなくヘルニアの手術の事を聞いてもこの程度で手術は行われないし、それで一連の症状はよくなるとは限らないとの理由で断られていました。
色々な検査もしてきたし、この間耳鼻科眼科神経内科、牽引の為整形外科などもまわっており、次第にこのまま治らないんでは?と考えるような日々が続いてました。
実際症状がよくなるよりも、めまい、吐き気、頭痛(こめかみ、後頭部痛)、腕のしびれ(この頃牽引でよくなってきていたが、寝ている状態で両腕に痺れがでるようになった)目のぼやけ、目の痛み、耳鳴り、耳が詰まった感じ、便秘下痢の繰り返しなどと症状は初めの頃に比べ、自律神経失調症のようなものがオンパレードでした。
どこかにいい先生がいないかと首のMRIを持ち色々な病院に片っ端から受診を試みましたが同じような答えしか帰ってきませんでした。
そして3月17日の夜に遂に力尽きてしまいました

■ 人生初の入院
  この日の夕方少しふらつき吐き気がひどく夕方より横になっていました。
横になっていてもゆ〜らゆらしてて、例えでいえば船酔いみたいな感じです。何だか一瞬意識が飛びそうな感じというか、後ろに引っ張られるようなくらくらするような、めまいで悩んでいる方にはわかるかと思いますが、発作のように現れるので外出も怖いし、食事をしていても吐き気がきたりとずっとこんな症状で悩まされてきたのですが、この日はそれに伴い、手足に力が入らなくなってふにゃふにゃになってしまいました。
結局力は入らないし、すごくゆれていてパニック状態というか一睡も出来ずに、夜が明け朝一にいつもの総合病院の方へ両親に連れて行ってもらいました。
名前を呼ばれて診察室に入るのも一苦労で、先生に事情を説明しとりあえず点滴をうって横になっていたのですが、回復はせず握力も左右10くらいしかありませんでした。
結局、真っ直ぐ歩いていられないし大学病院はベットがいっぱいとの理由でこちらの病院で入院する事になりました。
あまり大きな手術はしていない病院なので、治療は大学病院でするとの事。しかしながらその大学病院でも原因がつかめていないし、こちらの先生も首をひねるばかり。
以前本でミエログラフィーという検査で普通のMRIには写らないヘルニアがみつかったとの事を思いだし、その検査をお願いした所あっさり却下!
何故だかはわかりませんが、では一応首のMRIをもう一度造影剤というのを入れて詳しく調べてみましょうという事になりました。
力が入らないし、何だかふわふわしてるし点滴ではどこもよくはならないが食事は意外と食べれていました。
夜は全然眠れなくて、ただでさえ他の方のいびきなどで寝不足が続いていました。
そんな日が三日くらいして力は抜けるような感じはあっても少し歩けました。先生はこれなら大学病院に入院する事はないだろうと言いましたが、本人はふにゃふにゃのふらふら状態で何とか歩いている感じでした。
平衡感覚がないというか何かにつかまっていないと倒れそうだし、ひざがかくってなって転びそうにもなるし、こういう状態では周りの人から見てもそんなに理解してもらえないのが辛かったです。
腕から血でも流していれば大変だね〜などと見てくれるかもしれないが、気持ち悪いとかめまいがひどいといってもわかってもらえてないです。
気持ち悪かったりして眠れないのもあって睡眠薬をもらって飲んでました。やっと寝れても朝6時には起こされるし、うとうとしてると検温だったり点滴だったり、仕方ないけどやっと眠れる感じなのに起こされてました。
いざ寝ようというときは気持ち悪かったりで、めまいはいっこうに良くならないのでメイロンという点滴を始めました。
これが痛いのなんのって!もともとドロっとしているせいで血管が痛いって患者が多いらしく、点滴終わった後に固まらないように流す液体を入れてる時でさえ痛みました。
結局漏れてるらしく、腕が紫色になっていました。退院するまで4箇所もそのようになっていました。
もともと血管が細いみたいなんですが、4箇所って看護婦さんのレベルを疑ってしまいます。最後にしてくれた看護婦さんの時はすっと入った感じがしてさほど痛くはなかったですが・・・
入院中、残尿感も気になってました。おしっこのきれが悪いというか出にくいといった感じがして男性の朝の生理現象もなく(寝不足も関係?)触ってる感じもなんだか変でした。点滴の管より造影剤というものを流し詳しく首の状態を撮影しました。
検査結果は案の定?5.6番目にヘルニアがあるものの、その他は何も見つからないという答えでした。

〜医者不信〜
排尿障害もあるし、手足の脱力もヘルニアから来るのでは?と先生に聞くと、このヘルニアはそのような症状を出すような大きさでもありませんし、足に痺れがないような状態でいきなり脱力はありえません!とはっきり言われました。
整形外科の女性の先生なんですが、ありえませんって言葉はどうかと思いました。
以前は右手だけの痺れも今は両手が痺れることもある事も大学病院で「頭の血流が悪い事からきてるように思えるし」・・・ってそれも問題無かったのでは?
要するにわからないんでしょ!心でそう叫びました。
それから、脳外の以前麻痺状態の時に診てもらった先生が来て、あっどうも!
「あなたでしたか」とぽつり。「前は痺れてきて今度は力が入らなくなったみたいだけど、ここにいても治療も出来ないし、ちょっと良くなったら大学病院の方へ戻ってみてよ。」
何だか「死の宣告」みたいでした。わからないからよそ行ってって。
それに「めまいなどは精神症状からもきますよ〜」などと、うつ病とかの話しをしているんでしょう。こんなに自覚症状があって、治せない医者に問題があって精神病になるのではと感じましたが、絶対に原因があるはずだと心で負けない様にしていました。
すべては医者の言葉にもよるのかもしれません。話しを聞いて可能性を話すような医者が少ないように思えたのは、色々な病院で沢山の先生を見てきた感想です。
良い先生だと評判の先生はきちんと話しを聞いてくれて一緒になって考えてくれるような人で、数だけこなすような急ぐ医者やちょっと話しを聞いて薬を出す医者、だんだん信じられなくなっていきました。
この日病室のベットで、八ヶ月もたって原因や治療どころか毎日どんどんひどくなるような症状にいつしか死んだ方がましだと崖っぷちに立たされていました。
数日後、相変わらずのめまいがあるものの気合で何とか動けるといった感じで、ここにいても殺されるだけだと思い調子は悪いが退院すると言いました
整形の医者は、「私は頭の血流とかの問題だと思っているので大学病院に今回の件を書いた紹介状を書いておきます」と言いました。
その時に思いました。あなたはその事すら同じ画像を見て解らなかったくせにと。
で、またその先生に紹介状だったので、その先生は問題ないって言ってたし○○大学病院へ行ってみたいのですがと言うと、○先生にしか紹介状は書きませんと断られました。
結局次の日に退院予定になったのですが、この日目もおかしいので眼科にて検査、そして月に一度の診察という事で耳鼻科神経内科の先生が○○病院から来るとの事でついでに診てもらう事になりました。
眼科の検査では、近視、乱視が出ているとの事でメガネを勧められましたが、もともと視力も悪くないし今は首にも問題があるように思えるので少し待ってくれと目の調整をする目薬だけもらいました。
耳鼻科では簡単なめまいの検査をしたが、以前にも大学病院で調べた事もありその先生からは患者の半分くらいが原因不明のめまいで、ある治療院に通わせた所よくなったという鍼・灸の先生を紹介されました。
普通はあまり医者はそういうの認めないように思っていたのですが、実際先生も疲れたら行ってるようでした。結構近所だったので名刺だけいただきました。
そして、最後は神経内科の先生。私の画像を見ながら「首の形はあまりよくない」とおっしゃいました。
いわいる首の変形がみられると、昔のむちうちでなったかもしれないとの事で詳しい事は整形の先生ではないのでわからないが、「あなたがここへ全身麻痺になって救急車で運ばれてきた原因は「パキシル」という薬の副作用だ」という事がわかりました!
この薬を出した先生は脳外の先生で、麻痺になった時は「変なもの食べなかった?」とか「栄養ドリンクを大量に飲んでいないか?」とか聞いてたくせに、自分の出した薬の成分もわからないのか〜と怒りでいっぱいでした。
退院の際、整形の女医さんが紹介状を持ってきて手渡された時に、以前の麻痺は「パキシル」の副作用だと今日言われましたと捨てセリフのように言ってやりました。
退院の手続きを済ませ、薬を渡されたのですがもう来ないと思ったのか、シップやら薬やら一ヶ月分も大量によこしました。
腹も立っていたし、こんな病院2度と来るものかと飲み薬はすべて処分しました。
ここからは、もう病院は信用しないって心に思いながら季節は新しいスタートとをきるかのように四月という春を迎えていました。

■ レーザー治療
  病院を退院して、予定通り紹介状をもって脳外科を尋ねました。
半日ほど待って診察を受けたが、握力などはもとにもどっていたし結局血流を良くする薬だのをもらい、もう一度大学病院脊椎担当の医師にみていただく予約をして帰りました。
信用がなくなったせいもあって、自分の症状や頚椎ヘルニアなどをキーワードにネットで検索しまくっていました。
また、めまいの影響で外出も怖くそんなにひどくない時に買い物に行って、何とか過ごしていた感じです。
入院をした日からは一日たりとも調子がいいな〜と感じることは少なくなっていました。ネットにて痺れやめまい、首の病気だの4冊くらい本を購入して勉強しました。
検索を進めていくうちに、ヘルニアをレーザー治療するという方法がある事を知りました。国が認めていない?治療の為保険が適用せず、頚椎のレーザー治療には50万ほどかかるようでした。
お金うんぬんより、これでヘルニアが治り一連の症状が消えるなのならと思い、ネットにてレーザー協会という所にメールをしました。
数日後、返事があり私は神奈川に住んでいる為、現在一番近くで信頼のおける病院という事で東京の小岩にある病院を紹介されました。
病院に連絡をとりレーザー治療を希望している事を伝えると、三日後に朝MRIを病院で撮り、夕方院長先生の診察を受けてくれとの事でした。
遠方にある為当日の朝、満員電車に揺られながら行くのは相当辛いと思い、前日の夜中に彼女に車で連れてきてもらい病院の近くのラブホテルにて宿泊をしました。
普通なら楽しい場所なんでしょうけど、私は気分が悪くただ横になっているだけでした。
一緒にいても何もして上げられなく申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
相変わらず、寝不足の日々も続いておりいつおかしくなるのか?と隣り合わせの毎日でした。翌日頚椎のMRIを撮り、夕方院長先生の診察がありました。
先生が言うには「両手が痺れているのはヘルニアのせいじゃない」と言い胸郭出口症候群(きょうかくでぐちしょうこうぐん)という診断でした。
腕を上に上げてグーパーグーパーするような運動をやらされたのですが、少しして出来なくなってしまいました。
首の痛みにはトリガーという注射を打ち、めまいや吐き気に関しては自律神経失調症と言われ一週間後また来るように言われ家に帰りました。
新しい病名を言われたものの、だからといって治療するわけでもないし今の状態は変わらない。両手の痺れは我慢できるけど、ふらふらやふにゃふにゃや気持ち悪いのが治らなければ意味がないです。
一週間後もう一度診察を受け、先生に胸郭出口症候群なのかもしれないけれど、ヘルニアをレーザー治療したいとお願いした所「たしかにヘルニアがあるし多少の神経障害や脊髄障害が出ているかもしれないが、首に変形が見られる為レーザーは適応外」と言われました。辛い症状はめまいとかのようなので自律神経が治ってくれば良くなるとの事で、グランダキシンという薬をもらい、首にはまた注射を打って帰りました。
どこへいっても、こんなヘルニアでは大したことはないと言うし、レーザー治療も出来ないとなるとあとはどうしていけばいいのかわからなくなってほぼ絶望でした。
自分と似たような症状の方がヘルニアである事を知ったのはこのホームページを見つけ、色々な人の話が参考になっていました。安心もしてました。
やっぱりヘルニアさえなくなれば、治るんじゃないかと勇気付けられていました。
自分から書きこんだり、質問したり色々な事を学んだような気がします。
しかし、私はこれからどうしていけばいいのかわからなくなってしまっていたのです。
病院は耳鼻科眼科整形外科脳外科神経内科と診察券だけでも10はありましたから。一体どの病院へ行けばいいのやら…

 

■ 可能性
  レーザー治療も断念して、毎日症状がよくなるわけでもなく、力も入りずらくなるようになってからは、今日は割と体調いいな〜などと感じる事はなくなってました。
近所の病院には大体行ったし、これからどうすれば・・・と悩む毎日です。
以前断られた「低髄液圧症候群」という病気の事を思いだし、支援協会という所にメールなどで質問していました。
横になると症状がおさまるような事があるみたいなのですが、私の場合は立っていようが横になっていようが症状が変わる事がないのでこれも違うのかな〜と思い始めていました。主に「低髄液圧症候群」というのは頭痛がメインみたいなのですが、現在は頭痛というよりもこめかみや後頭部の痛みがあり、後頭部から右目にかけてズキッと痛むような衝撃も頻繁に起きてました。
それで目もやられているような感じで、あちこちが悪くなっている感じです。
ふと、父親の知人が病院の理事長をしているとの事で、そちらの病院を訪ねる事になりました。
こちらは内科がメインの病院で、整形や脳外科は以前無かったようなので最近になって、よその病院から先生に来ていただいて整形外科が出来たとの事でした。
病院自体は車でも行きにくく、地元の人が行くような、そんなに大きくなく、わざわざここへは来ないような病院という印象を受けました。
理事長に会い、「この先生ならわかるかも」と紹介してくれた先生に診察を受ける事になりました。
レントゲンを撮り、自分の症状や経過を言ったうえで先生は「頚椎のMRI画像を持ってきてください」と言い、非常にむずかしい状態だと言われました。
そんななかこのホームページにて、歩くのも辛くなって、排尿障害やめまいなどがあって手術をしたという方から、私と症状が似ている事で個人的にメールをいただいたのです。
その方から、病院と先生を紹介してもらい今度どこかの病院で紹介状を書いてもらえるか頼もうと思っていました。
数日後、画像を持って病院を訪ねました。
先生は画像を見ると、「一般の整形外科の医者なら小さなヘルニアがあると答えるのが変な話マニュアル通りです。入院して牽引を半日するという治療もありますが、痺れや痛みがメインではないようなので、はっきりはしないが気になる所があって私の専門ではないので、知り合いの先生で静岡の病院で一緒にやっている先生がこういう事ばかり見てる人なので会ってみますか?」と言われました。
週に2回神奈川の藤沢という所の病院に来てるとの事で、私は静岡の病院よりもこちらの方が近かったので、紹介状を書いてもらい早速次の日に訪ねる事になりました。
この先生がたまたま次の日に診察に来てる日だったのと、ゴールデンウィークが終わると同時に新しく神奈川の新横浜に病院を開業するので、先生は忙しくなってしまうので早く会いに行った方がいいと言われました。
4月21日、私はこの先生を訪ねる為電車に乗り病院を目指しました。
首の異常から始まり、ここまで九ヶ月。毎日吐き気やめまい、頭痛などと戦い、苦しい毎日を送ってきたのですが、ついに運命的な出会いをする事となるのです

■ 頚部脊柱管狭窄症
  紹介された病院はショッピングモールの中だけあって、周りには回転寿司やレンタルビデオ屋など、病院って感じな場所ではなく病院自体も小さな診療所という感じでした。
まずは首のレントゲンを撮り、そしていよいよ私の診察の番。
先生は40代くらいの関西弁を話す先生でした。紹介状の内容やMRIの画像を見ながら先生は「整形だけじゃなく色々な所回ったでしょ?へたすると精神科に行けっていう先生もいたのでは?」核心をつかれたようで私はえっ!と思いました。
画像を指差しながら、「まずここにヘルニアがある」とここまでは今までと同じ意見。
「で、問題なのはここなのよ」と・・・
指差した場所はMRIで黒い部分でした。そして「これが正常な人の頚椎のMRIです」
と見せられたのは、透明に写る2本の線がくっきりと写っている写真でした。
この透明な線というのが”脊髄液”そう私が今まで調べた「低髄液圧症候群」という病気が頭の中に浮かびました。
このことを先生に話すと「漏れているかどうかは現時点でははっきり言えないが、ごらんの通り流れが悪いのはわかりますよね!」私の画像ではこの2本線はヘルニアのある部分の上と下には透明には写っていなく黒くなっていました。
首の前も後ろも黒く写っていました。
先生は「ヘルニアができたおかげでこの流れは悪くなったと思われます。それと、脊髄の幅が狭いのでこういった症状が出ています
???脊髄の幅?・・・詳しく聞くと「頚部脊柱管狭窄症」(けいぶせきちゅうかんきょうさくしょう)という病名だそうです。
普通の人より脊髄の幅が狭い為、ここに小さいながらヘルニアが出来た為例えでいえば、狭い四畳半の部屋に五人も六人も住んでいる状態だと説明を受けました。
「こういう状態でヘルニアなどの症状が出るとこの程度でも神経症状や脊髄症状が出やすい為、良くなったり悪くなったりしているんだと思いますよ。ほっといて治って行く病気ではないし、色々な事試したようですし先の治療(いわいる手術)も考えた方がいい」と言われました。
手術の方法は後方椎弓形成術というものでした。後ろから切除し圧迫を受けている部分を削り人工の骨を埋め込むというもので私の場合は4箇所固定するとの事でした。
私の状態は頭が貧血状態みたいなので、神経の圧迫を取り除き髄液の流れや血液の流れをよくする事が目的だと説明されました。と同時に首には自律神経と関わっている部分が多いからレントゲンでもわかるようにこの首がもっと後ろに反るような形になればどんどんよくなるはずだと言われました。
手術をした場合でも7割の神経回復で、痺れなどの後遺症が少し残るかもしれません。ただ日常の生活は出来るようになるまで回復は見込めますと説明を受けました。
私は「すぐにでもお願いします。仕事はおろか生活も毎日辛い状態です」と先生にお願いしました。
現在、病院はすでに予定がいっぱいで、新しく6月に出来る病院で手術を行う事になりました。この時ももうすでに6月中は患者でいっぱいだそうで、先生はオープンした次の日に一応予定にはないが手術道具や機械などが間に合っていたら、出来るかもしれないが5月9日の最後の診察の時に返事をしますと言われました。
手術に関してはメールをいただいた方と方法が一緒だったので不安はありませんでした。
普通は首の手術と言う事もあって怖さというものがあるのかもしれないが、原因そして治療方法がある事に嬉しく思いました
やっと・・・っていう安心感みたいなものがありました。やっとこういう先生に出会えた事に感動していたし、的確に言ってくれる先生にこの先生ならって思いました。
そして運命の日は5月9日にすべてが決まる事になったのです。

■ 手術の日決定!
  5月の診察前に私はまた調子を崩しました。
前と同じようにめまいがひどく力も入らずに気持ちも悪くなって、夜に救急で大学病院で診てもらい、点滴をしてもらっていました。
点滴をすれば治るってわけでもないが、どうしていいかもわからず病院に来ていました。実際何故こんなにめまいがするのかは大学病院の先生にもわからずで、数日ひどい状態が続いた後にまたよくなるって感じを繰り返していました。
こうして、毎日不安な毎日を過ごしいよいよ9日の診察の日を迎えました。
うまくいけば早く手術してもらって6月にだめなら7月に。
この一ヶ月という間は症状の辛い私にとってはとても大きな事で、出来る事なら早くにお願いしたいといった気分でした。
先生は「私よりひどい人が一人入って来たので、6月3日に手術を迎えます」と。
また手術方法や症状の説明などを受け「大丈夫!治りますよ」と言った先生の言葉が頭から離れませんでした。
何故今まで色々な病院や先生、検査などを受けてきたのに病名がはっきりしなかったのですか?と訪ねると、「私はこれしかやってきてないから」と笑顔で。
「あなたのような症状の人しかほとんど来ませんよ。整形外科だけど、足が骨折してるとかいわれても手術どころかわかりませんって答えるかもしれないよ」と笑っていっておられました。
こちらのホームページにてもわかる日本脊椎脊髄学会の専門医の免許をもつ先生でありました。同時に専門医っていうのはこれほど違うのかと感じる反面、大学病院に行けば大丈夫と思っていた自分の知識のなさにあらためて勉強させられたようでもあります。
この日めまいがひどくなったりして点滴などを受けた事を説明して、手術の日までにおかしくなったらどうすればいいのか質問すると、やっぱり点滴か安静にしてもらってとにかく頑張ってくれとしか言えないと言われました。
結局この日血液検査尿検査をして、あとは郵送にて連絡するとの事でした。
この日手術の日程が決まったのと、今までの辛い日々や、やっと治るんだという安心感に男ながら涙があふれました
両親は離婚していますが、この日まで心配してた母に手術の内容や日程を電話で報告すると、やっと治してくれるような医者に会えてよかったと泣いていました。
ここまで頑張ってきたし、もうすぐまた色々出来るようになるんだと希望を持って毎日カレンダーとにらめっこの日でした。
何度か調子もやはり崩しましたが、いよいよ手術の前日になりました。
入院は二週間くらいと説明があったので、大体一週間くらいの着替えと洗面用具、MDウォークマンや本を数冊カバンに詰め、父親と車で向かいました。
新しい病院のオープンという日でもあった為、診察に訪れてる人でいっぱいでした。
患者さんが言っていたのですが、静岡の病院でも毎日この先生の診察の日は遅くまで患者さんがいっぱいとの事で、こちらの方も静岡より来ていたようです。
私は少しして名前を呼ばれ二階の部屋へ案内されました。
男性の方ですでに前日、私と同じ手術を受けた患者さんがいました。なんでも歩けなくなってしまったようでその方が歩いているのを見て、私も手術を受けた後はああして歩けているのかなと思いました
ちょっとした検査をして、手術前の説明などを看護婦さんがしてくれました。
患者と看護婦さんも合わせて病室には三人しかいなくて、説明などもしてくれましたが世間話やここまでのいきさつの話し、看護婦さんが新幹線で静岡より通っているなどの話などをして、前日なのに緊張はあまりありませんでした。
この日その男性の方と二人きりでもあったせいかたくさん話しをしていました。
夜に先生が来られて「どう?緊張してる。明日頑張ろうな!」
などと声をかけに来てくれました。明るい先生なので冗談を言ったりで私の緊張を少しでも和らげようとしているのかな〜と思いました。
始めからこういう先生に逢っていれば、病院に対する気持ちも違っていたかもしれないし、紹介してくれた普通の病院でも結局大事なのは病院ではなく、先生なんだな〜と思いました。
この日は前日は良く眠れるようにと眠剤をもらい久々にゆっくり寝れた気がします。
そして、いよいよ私も手術当日を迎える事になったのです

■ 後方椎弓形成術(手術)
  いよいよ手術当日の朝を迎えました。朝目が覚めて私はいよいよか〜と思いました。
ここまで、リハビリや病院めぐり、紹介された鍼治療や東京にある少し高額な整体院などにも足を運びどれをとってもとても改善とよべるものはありませんでした。
この日の朝は食事は抜きでした。
前日の夜に下剤を飲まされていたのですが、もともと毎日出るほうでもないので効果はなく、手術の前に浣腸する事になりました。
私の手術時間は二時くらいの予定だったので少し時間があるので、ベットの上で今までの事を色々思い出して治ったらあれしようとか良いように考えていました。
昼過ぎにお腹を空にする為浣腸を行いました。恥ずかしかったので自分でしました。
少し我慢してからトイレに行ったのですがこの時足に力が入らなくなって、漏れそうになるし倒れそうだし大変でした。
術着に着替えさせられて、ふんどしを装着しました。
昼過ぎに先生がお見えになって、大体二時間くらいで終わると言っておられました。
看護婦さんに点滴をされて、あとでストレッチャーで迎えに来るからと言われ、今日は手術室は若者向けの有線にしとくからと笑顔で言われました。
先生同様、一緒にやっているスタッフは明るい方ばかりでした。
麻酔科の先生が少し遅れてるみたいで二時になっても呼びに来ませんでした。両親もかけつけ二時半くらいにいよいよストレッチャーに乗せられエレベーターで三階に向かい、ドラマや映画のようなワンシーンのように手術室に入りました。
そのまま、看護婦さんと会話をしながら先生が現れ、名前を確認した後麻酔のマスクをあてられ「ゆっくり深呼吸して」と言われました。
点滴からも麻酔の液は入っているみたいなのですが、数字を四くらいまで数えた所から記憶はありません。

何やら名前を呼ぶ声がして私は目を開けた気がします。
まだもうろうとしていたのか、ものすごく眠くて次にはっきり目が開いた時は治療室という所に寝ていました。
勝手に血圧を測るのが腕に、心電図や指先には機械が付いていて、看護婦さんが点滴を何度か変えたり熱を測りにきたりしていました。
先生がしばらくして見えて「手術は順調に成功しましたよ」と言ってくれました。
首には血を抜くドレンというものが刺さっており、おしっこの管という物もあそこに装着されていました。
体も右に左にと看護婦さんが動かしてくれました。
時間が気になったので「今何時ですか?」と訪ねると夜中の二時過ぎだよと教えてくれました。
手術は五時くらいに終わって、私は麻酔が効きすぎたのか七時近くまで気がつかなかったみたいです。両親が何度も呼びかけてる声が聞こえてたけどなかなか出てこなかったと言っておりました。
自分の中ではまだ夜の九時くらいだと思っていたのですが記憶もないし、首もまったく動かないといった状況でした。
尿道に刺さっている管が気になってちょっとさわったり力を入れてたりしていたら、すごく痛くなって看護婦さんに言うともうじき朝だから取ろうと言う事になったのですが、これを抜く時の痛みは正直涙ものでした。
ここからはもう眠れなくて、そのうち先生が来られました。
「指や足の指を動かして、気分は?」といくつか質問されました。
首は全然動かないし、おしっこの為の管が痛くてどっちを手術したかわからないと言ったら、「結構そういう人もいるよ」と笑っていました。
個人差というか上手くはまっていると平気みたいなんだけど、尿道に管を入れるのは麻酔後なんでその時は痛みもわからないですし。
案の定おしっこをするたびこの後六回くらいまでは痛みがあり、トイレに行くのが嫌でした。始めはちょろちょろくらいしか出せなかったです。しかし点滴を何本もしているせいかすぐに行きたくなるので術後二日間くらいはこちらの痛みとも戦っていました。
手術後は手の力も入るし、今までぼやけていた視界がすごく良くなったことに一人感動していました。
朝七時くらいにまた先生が訪れ、首のドレンというものを外しました。首には術後よりソフトカラーが付けられていました
先生が「ゆっくり起きあがってみて平気そうなら病室にもどっていいよ」と言われました。首に力が入らないのでよいしょとすぐに起き上がることは困難でベットを自動で起き上がらせて、ゆっくり立ち上がってみました。
首が動くと痛むので、カラーを押さえながら首を動かさないようにゆっくり歩きながら部屋にも戻りました。
術後半日で歩けたけれど、首はまったく動かせないといった感じでした。
こうして、手術は一応成功のもとに終わりました

〜手術後の気になる傷跡〜
歩いて病室にもどってきた私を病室のおじさんがあたたかく迎えてくれました。「どう?動かせないでしょ!」こんな会話をしていました。
朝食が用意されていたのですが、動かすと痛むので下を向く事すら辛くて、箸にささる物だけ口にし、飲み物などはストローがないと飲めない状態でした。
枕があると痛いのでバスタオルなどをひいて横になっていました。この日は歯を磨く事すら困難でした。
術後も点滴を何日かして、酸素みたいなものを吸っていました。全身麻酔の為らしいのですが。まぁ何をするにしても体ごと動かさなければ出来ない状況で、テレビを見るのも一苦労でした。
術後は翌日に傷口周辺が痛むので座薬を入れました
以前後頭部から右目にかけてズキンという痛みがあったのですが、右目の瞼の辺を触ると神経が動くような感覚がしていました(麻痺というか帽子かぶってるみたいな)
術後二日目には先生が傷口の消毒とテープの貼り替えに来ました。
この日よりシャワーの許可が出たのですが、カラーを外すといたたた・・で首ってこんなに重いのかと感じました
術後に出た右目上の異常は「しばらくして消えるから大丈夫」だと先生に言われました。
今までの場所より神経が動いた為だといっておられました。
押しつぶされていた神経はここから徐々に回復していくから、あせらずにと言われました。脊髄液がうまく流れたせいか目のぼやけと頭痛に関しては術後出ていませんでしたが、ふらつく感じやちょっとした吐き気などは相変わらずな状態です。
何だか胸がドキドキしたり(動悸?)以前みられなかった症状も出ているような様子です。シャワーはやはり厳しく、体だけお湯で濡らした程度しか出来ませんでした。
この時、鏡を借りて傷口を見たのですが、予想していたよりも小さく、5センチほどの大きさで首の後ろにありました。
私の予想では髪の後ろ辺りまで十数センチ切られると思っていたので何か嬉しかったです。よく大学病院とかで後頭部に傷がある人とかみていてサザエさんのワカメちゃんみたいに刈り上げにされてしまっていると思っていたし、縫った痕みたいなものがなかったです。傷口の中を縫ってあるらしいのですが、これも先生によるものだと説明を受けました。手術前に傷口の話などは手術をお願いした時より私はさほど気にしていなかったので、こんなもんなんだ〜と感心してました。
何だか本当に自分は手術したんだな〜と実感が沸いた瞬間でもあります。

■ 入院生活から退院
  三日もするとまた次の患者さん達が手術の為、入院してきました。
どちらの人に話しをするも、ここまでたどり着くのに大変苦労したとか病名がわからなかったとか、手術を引き受けてくれる医師に出会わなかったなど同じような経験をしている人ばかりでした。
ここでは、腰、首の専門病院ともあって掲示板でお話しているような人ばかりなどで、とても話しが合いました。
術前までのいきさつや術後の心配なども皆さん同じようだった気がします。
食事はやはりあまり動いていないので、お腹が空きませんでした。やはりさっぱりしたような食事が多い為外のレストランがいいな〜と眺めてましたけど。
手術後は微熱が少しある状態でした。先生はほとんど顔をだしては色々話しをしてくれました。傷口のテープも何度か交換してめまいがすごくするような時や首の痛みが強い時はよく眠れないので、民剤をもらっていました。
10日目に首のレントゲンCTMRIを撮りました。
翌日先生より説明があって、脊髄の幅がおおきくなっている映像や髄液の透明な部分も術前より多く写っていました
退院の許可が出て、術後13日目に退院になりました。病室でのんびり過ごすのも家でのんびり過ごすのもこれから先は変わらないからと言われました。
術前に先生から、「手術した後は肩こりがひどいよ」と言われていて、私も退院する頃に肩がものすごく痛かったです。退院日の朝に両肩にトリガーという注射を打ってもらいました。首にはソフトカラーを巻いて寄りかかっていないと肩がものすごく痛むといった状態でした。
退院後は週一で病院に行き、傷口を見たり肩に注射を打ってもらっていました。一ヶ月が過ぎても、傷口の下の部分が弱いとの事でふた針ほど縫いました
局所麻酔にて行ったので、注射も痛かったけど意識がある分手術よか緊張しました。
ようやく傷口もくっついて通院は二週後になり、やがて一ヶ月後になりました。
安静に過ごすも、肩周りのマッサージなどに行き肩こりや緊張を取ってもらう事を現在行っています。
針の先生が言うには肩がすごく張っていた状態で手術をしたから、傷口が引っ張られていてなかなかくっつかなかったのではと話していました。
めまいもしてるし、首を動かしたりするとめまいがしたり、何となく力が入らなかったり朝手が痺れていたり肩こりがひどかったりとまだまだ不安な毎日です。
以前胸郭出口症候群とも診断を受けた事があったので痺れはこれかな〜などと思っていますが。
九月のあたまに術後三ヶ月でのCT,MRI検査が行われます。
「真っ直ぐだった首の湾曲が後ろに反るような形になり痛みなどがなくなってくればめまいもなくなっていくのでは」と言われており、早くそんな日がくればと思っています。
術前には歩くのも辛かったので出来なかったウォーキングや目に出ていた近視は術後になくなり頭痛もなくなりました
このめまいや脱力感がだんだんなくなって、また元の普通の生活が来る事を毎日夢見ながら頑張っています。
私はこの手術を受け、立っていられないほどの酷い状態から回復したことは良かったと思います。朝、薬の副作用で救急車を呼んだ事、立っていられなくなった症状になった時、レーザー治療が受けられなかった事、何度か救急で夜間に病院に行った事、毎日不安で色々病院を渡り歩き、色々検査を繰り返していた事、原因もわからず悩む日々で何度も死にたいと思ってたあの頃を今思い返し、よく頑張ったと自分を褒めてあげたいです。
まだ時折調子を崩し不安な日はありますが、回復を信じて頑張って行きたいです

■ 傷口から
  手術が終わってから2ヶ月半が過ぎました。
まだ、めまいや脱力などの症状があるのでマッサージや針の治療の毎日です。
針の先生が傷口の所、前にくっつかなかったと言ってたけどなんか半熟みたいになってるよ?と言っていたので、家に帰って鏡で見てみると少し膨らんでました。
何だかちくちく痛っ!っていうのが2度くらいあった時もあったのですが、丁度くっつきが悪いと言われていた下の方だったので病院に電話をしました。
看護婦さんに事情を説明すると「中で縫った糸を体が拒否反応起こす人がたまにいるんだよ」と言われ、とりあえずあまり触らないようにガーゼでもしてもらって気になるようなら診察に来て下さいと言われました。
次の朝、ガーゼをとると膨らんでいた所から多少の膿と血が・・・
日曜なので病院が休みで、とりあえず痛みなどもないし自分で消毒をしてまたガーゼをしていました。
翌日の朝も出血が見られ、場所が傷口なのでやっぱり心配になり病院に電話をし説明をすると「今日は手術があるのでそれが終わる五時過ぎに病院に来れますか?」と言われ、電車に乗り病院を訪ねました。
前にもそうだったけれど、電車に乗るとめまいが必ず起きて足にも力が入らなくなります。この揺れがあまり体に良くないのと、階段の上り下りはまだ辛いのかもしれません。
病院に着くと丁度二人目の手術をする前で、先生が見に来て「膿は出ていないけど、前にくっつかなかった所に小さな穴が開いてるからそこを周りごと切り抜こう」と。
????切り抜く?えっ!どうやって??また縫うの?
「首のヘルニアをとるだけの手術だから一時間半くらいで終わるから八時くらいにまた来てくれ」と言われ、「傷口が中からのものだと色々大変な事になるから早い方がいい」と。
抗生物質の点滴を受け一時間ほど時間があったので近くのレストランへ。
急な事で、血も出てるしまた縫うのかな?とは思っていたけれど、緊張してお腹の調子も悪かったです(涙)
病院に戻ると先生が「おっ戻ってきたな!準備はいいぞ」と笑顔で・・・
いやまだ気持ちの整理が。局所麻酔でまたやるとの事でしたがその注射が痛いことくらい前回縫った事で覚えてるし、着替えを出されました。
えっ!結構大ごと?と思いながらまたあの手術着に着替えなんと手術室に。
看護婦さんが「久しぶり!歩いて手術室に入った患者は始めてだな〜」と笑顔で・・・
説明を受けると、「中縫いの体の中の糸を拒否する人がたま〜にいるんだよね」と私の方を指差して「何聞く?小田和正でいい?」って明るく看護婦が・・・
緊張を取る為だろうか、対した事じゃないんだろうか、さすがに手術室で意識があるのは緊張します、痛いだろうし。
手術台にうつ伏せになり、四つん這いの格好でいました。こうやって手術したんだ〜と思いながら消毒をされ麻酔の注射が数本。
痛って〜!というのが三回くらいあったあとは痛み無し。
何やら糸で引っ張ってるような感覚が。顔の下は筒抜けなので看護婦さんの問いかけに答えてました。
「気分は〜最近の調子はどう?最初の手術より緊張してる〜」って質問されてました。
少しでもリラックスさせようとしているのもわかり、私も痛みはなくなったので、小田和正の”もう、終わりだね〜♪”という歌に「あまりふさわしくない歌だね」と言って笑っていられる余裕がありました。
三十分くらいで終わり、先生が「傷の中のほうには感染していないし、表面が少し化膿しただけでよかった!穴が開いていたのでばい菌が入ると大変なので前の傷口の上から三センチほど切って中も外も縫い直した」と言われました。
まさか二ヶ月も過ぎてこんな形で手術台にあがるとは思ってもみませんでした。
皮膚は結構弱くて強いシップなどはひりひりしてしまうし、私の体質の問題らしいのですが、また今の汗かくような時期もよくないみたいです。
中縫いの特徴は傷口が綺麗に見える事らしいのですが、これなら初めから上から縫ってもらってもよかったかなと。
実際やってみないとわからなかった結果論ではございますが。
何はともあれこんな感じでまた傷口を開けた事により、やはり麻酔の効果のなくなった夜には痛みが(涙)
翌日から消毒をしに診察を訪れました。
三ヶ月検診の画像撮影の際に抜糸が行われるとの事ですが、大事に至らなくて良かったですが心身ともに疲れました。

   
■ 術後半年検査
  12月に入り寒くなり、今まで以上に肩や首のコリというか痛みも感じる季節になりました。現在は週に一度鍼治療と、保険のきく接骨院でリハビリを続けています。
今まで肩こりというのを感じた事はなかったのですが、術後からは毎日痛い日々です。
「以前は凝りすぎて固まっていた状態であった」と鍼の先生は言っておられました。
最近では体調に変動はありますが、一番辛かっためまいはだいぶマシになっていますが、元気に外出とかはまだ抵抗があり、近所なら少々出かけられるようになりました。
検査でCTとMRIを撮る事になっていましたが、腰から脚の太股辺りにたまに力が抜ける感じがあり、階段の上り下りや、走るといった行動は厳しく、念の為腰の方も撮影してもらいました。髄液の通り道(画像では透明に写る2本の線)は綺麗に写っておりました!
骨は私の場合、レーザーが適応でなかったように変形がみられていた為、狭窄されていた部分は首のC2〜C7とほとんどであった事も知りました。
ヘルニア自体は5〜6でしたが狭い部分が相当あったんだと感じました。上のほうの神経の圧迫は自律神経などに特に影響があるようで、まだ吐き気やめまい、下痢になったり体がだるかったりと症状が出ることもあります。
手術前に握力が10前後でしたが、今は力は入りますが、先にも述べたように足には少し変な感じの時があるのと、後頭部辺りが痛む時もあります。
まだ、首の骨は後ろに反っている形には写ってはおりませんでしたが、上を向いても手が痺れなくなりました
腰の方は特に問題がなく、手術前に脊髄の神経症状が私は出ていたので、脊髄の神経の回復具合だと言われました。
こうなる前に先生に会っていればな〜と今更ながら思います。
皆さんは普通痛みが辛い方が多いと思いますが、私はふらふらとふにゃふにゃで立っていられずに、寝る事もままならなかった状態でしたから、当時はもう死んだ方がましだと何度思ったかわかりません。
ようやく良い先生に出会い手術をして、始めの数ヶ月は劇的な変化もなかったですが半年経ってようやく、まだまだ普通の人と同じ事は出来ないけれど、あの時の辛さに比べれば全然ましです。
神経の回復は2年と先生はおっしゃってましたが、ただ何もせずにいるよりはと接骨院や鍼やウォーキングなどをして、1日でも早く復活をと頑張ってます。
それぞれ、人により症状や辛さは違うと思いますが、暖かくなる頃には、そういえばあんな症状は出なくなったな〜とか、最近はよく寝れるようになったな〜とか感じるようになりたいです。
今現在は、仕事は無理を言って、半日程度を3〜4日行ってましたが、天気などの影響なのか、すごく調子が崩れたり、眠れなかったりと不安定な時もあります
年明けは仕事は出来る範囲朝から頑張ってみようと思っています。
術前には、首の痛み、手の痺れ、頭痛、目のぼやけ、目の痛み、こめかみ痛、吐き気、耳がつまった感じ、手足の脱力、めまい(ひどい時はぐらぐらって感じ、フラフラ感は横になっていようが常に)下痢、胸郭出口症候群、頭の湿疹、不眠、排尿障害(残尿感や皮膚の触った感じが変)などこんなに症状があり、眠れなく気持ち悪かった日々や、もう立っているのがやっとで夜間救急で点滴を受けに行ったりしていたのに、今は色々な症状はありますが、少しずつ自分で動けることが何よりです。
まだ無理は出来ませんが、「こういった症状を1年近く我慢してきていたので、回復も少なくてもその分は急に良くなるものではないので焦らないで」といった事を言われました。
今は何よりこういったサイトで自分が精神的に励まされた事、まだ原因がつかめなくて精神病と診断する医師、手術を安心して受けられる医師に出会えない、多くの方がいらっしゃると思います。
どんな病気でも(出産なども)、なったものにしか伝わらないし、私のこの体験した記事が少しでも多くの人に役に立っていけばいいな〜と思います。
以前の元気な自分ではないけれど、少なくてもだいぶ良くなった実感と笑う事が多くなりました!!
焦らず今自分が出来る事をやっていきたいと思っています。

■ リハビリにて
  手術した病院は家から遠いので私は近所でリハビリをしていました。
リハビリの先生には手術をしたまでのいきさつなどをお話して、10月あたりから積極的に足を運びました。
術後から首周り、始めの頃は特に肩でしたが、毎日肩や背中、腰あたりが非常にこっているような状況でした。
治療は、肩・腰に電気と温め、先生のマッサージと首の牽引といった内容です。
二月の中旬あたりだったでしょうか、牽引をしてる際に少し気分が悪くなりました。
次の診察のときもなってしまい、帰ろうとしたときに今までにはないめまいがしました。地面がぐら〜って揺れるというか、体が沈むというか。それから、そういっためまいが出るようになってしまったので二週間くらい家で横になってました
後日リハビリの先生にその事を話し、牽引はとりあえずやめましたが、相変わらず今までのくらくらする感じのめまいとは変わってしまっていて調子が悪いので、手術した病院で相談しました。
自分では埋め込んだ人工の骨がどうにかなってしまったのかな〜という不安もあったので、先生に話し念のためMRIを撮る事になりました。
写真の結果は特に問題はありませんでした。
そして先生からは「首の筋肉を鍛える事は重要だけれども、焦らないでいいから」とまた言われてしまいました。
たしかに早く良くなりたいって思っていましたし、「牽引は合わない人もいるので何ともいえないが、悪くなったのであればやめなさい」と言われました。
しばらくの間はおとなしくして、少し動ける状態になりました。

毎日肩周りや背中に痛みはあるけれど、仕事にも半日ですが行っていました。しかし、夕方あたりから疲れてくるのか、痛みやめまいはひどくなって帰ってきて横になってる感じでした。
すべての症状に波があり、特に天気が悪くなる前の日などはめまいもひどいと感じる事が多いです。首が痛いといった感じはそれほどなく、ふらつきとたまに眠れなかったり、気持ち悪かったり、下痢したりと自律神経失調症みたいな症状はまだ依然として続いています。

■ 術後一年
  春には引越しをしました。
都会に住んでいましたから、日当たりも良くないし、病気で良い思い出もないので、気分を変えるためにも少し田舎ののどかな場所に越しました。
調子がイマイチながらも、前に比べれば外に出かける機会も増えました。徐々にですが良い日もあったりで、なるべくウォーキングなどを行ってました。
六月には一年検査がありました。レントゲン、MRIと撮影をして、経過は順調との事。
術前に撮ったレントゲンと今を比べると、術前に上を向いて撮った写真と今では、現在は首の骨がずいぶんと後ろの方に反っていました。斜めから真っ直ぐになったくらいの違いでした
まだめまいと背中や肩などの痛み、声が耳に響く感じなどはありますと答え、首も張っていて押されると少し痛む感じだったので、先生が注射をしてくれました。「星状神経節ブロック」という注射で、のど元に注射をします。
首の筋肉の緊張と、自律神経にも効果があるという事で数回試す事になりました。
注射をすると少しの間おかしくなるのですが、最初のうちは結構首が楽になったりしてたし、今までよりも普通に眠れる日が多くなった気がしました。
5回くらい試しましたが、通院が遠いのと一番不快なくらくらしてるのは特に変わりがなかったので、現在は行っていません。

私はこのめまいには随分と悩まされています。以前に比べて、動けるようにはなっているくらいには回復しましたが、やはりくらくら平衡感覚がなくなるような感じはいいものではありませんし、嫌になります。年明けからめまい外来に月一で通っていました。特に安定剤などを貰うくらいで、改善ってわけではないですが。
そこの先生にも話が出たんですが、以前疑っていた低髄液圧症候群(脳脊髄液減少症)という病気の話をされました。
発病当初、病院まで行ったが診察できなかった病気で、最近ではテレビやマスコミなどでも有名になりつつあります。
ネットで調べたり、本などを購入して読みましたが、私の訴える症状にいくつか合うので診察をしてもらいたいと思い、めまいの先生にお願いして紹介状を書いてもらい7月に予約をいれました。このサイトでもその治療を受ける方と情報交換をした事もあります。
手術した先生の意見としては、「漏れてるかどうかはわからないけれど、流れが悪い。」との指摘を受けた事もありますし、実際その流れが良くなったけれど、まだ少し症状があるので、その治療を受けたいと思いました。
全国にこういった症状の方は本当に多くて、私の診察の日は来年の春あたりか?と思われます。
しかし、その治療で今のこの不安定な症状が少しでも改善して、一日元気でいられる可能性はあると思いますので、もう少しの間頑張っていきたいです。
それまでには、今よか少しでも体調も良くなっていってると信じたいですし、首のむちうちや事故などにあった方はこの可能性が強いという事もわかってきています。同じように首の手術を受けた患者さんの例ものっていました。
今はこの検査をしてみようと思っています。    (次のページに続きます)

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