おれんじさんの闘病記/交通事故(追突) 頚椎椎間板ヘルニア手術(前方固定術)

交通事故(追突) 頚椎椎間板ヘルニア
2005年4月 手術(前方固定術)


H16年(2004年) 追突事故がきっかけで…

土曜日の仕事を終えて、いつものように職場近くの保育園へ車で子どもを迎えに行き、帰宅途中、赤信号で停止していたら後ろから追突された。あまりの衝撃の大きさに「上からなにか降ってきたのかしら?」って思ったくらいでした。納車して3カ月も経っていなかった私の車はみごとに凹んでいた。このときは、事故車になってしまった車の方がショックでした。・°°・(>_<)・°°・。 この日はこのあとどうしても外せない用事があり、警察に届けを出したらすぐに帰りたかったのですが、「これだけ車がつぶれていたら体にもきているからとにかく今からあいてる病院を探して診察を受けてください。」と警察の方に言われ仕方なく自分の勤務先の病院(病院で事務をしてます)に連絡すると、整形外科のT先生が当直だったので診察をお願いした。病院ではレントゲンを撮り骨には異常がないことを確認し、痛み止め、湿布を処方された。「今は症状がなくてもこれからでてくることがあるから月曜日に再度受診をするように」とT先生に言われた。
翌日曜日、首と背中の痛みが強くなり、腕のしびれが出現し手に力が入らない。上腕から指先にかけてピリピリして、自分の腕じゃないみたいだった。
月曜日に再度受診し
MRI を撮る。握力も土曜日の半分以下しかなった。頚椎C5/6間にヘルニアがあり、これが神経を圧迫しているとのこと。事故のせいで飛び出したのかはわからないけど、ヘルニアが吸収されて小さくなることもあるのでしばらく様子をみることになった。事故から1カ月経過したころからリハビリも開始したが、首の牽引は痛みが増すためにできず、低周波で温めるのみでした.(хх。)

■4ヵ月後 転院

事故から4カ月が過ぎたが、頚から肩にかけての痛み、腕のしびれはよくならない
時間のある日はリハビリに通い、週1回のペースで
トリガーポント注射を受けていたが、
だんだんと痛みどめを飲む回数が増えていた。痛みで天気もわかるようになっていた。T先生に「うちの病院は脊髄疾患の専門じゃないから一度、
脊髄専門の先生のところで相談すてみたら?」と言われ紹介状を書いてもらい、○○病院のY先生を受診しました。Y先生には、「外来では今までと同じことしかできないから入院して検査が必要です。」とはっきり言われ、“入院”なんて思ってもみなかったことを突然言われて仕事?子供たち?どうしようと、、、いろいろな思いが駆け巡り「入院期間はどのくらいになりますか?」と聞くのが精一杯でした(%_% )( %_%)戸惑っている私を察したのかY先生に「このMRIやレントゲンのフィルムをコピーするからその間によく考えて」と言われた。この先ずっと痛み止めやしびれと付き合っていくのはイヤだし(いちおうまだ若いので、、、)事故のことは早くすっきり忘れたい!と思い入院を決めた。そのあと入院して行う検査(ミエロ、ディスコ等)や入院時の持ち物等の説明を受けた。入院日当日に検査ができるようにと必要な事前検査(血液検査、尿、レントゲン等)を済ませてから入院の予約をして帰った。早速自分の病院のT先生に「入院して脊髄造影って言われた〜」と報告した。T先生も「え〜、ミエロやるって?」「ブロックもやるの?」と驚いていた。「外来じゃ、うちと同じことしかできないんだって」「椎間板造影と場合によっては神経根ブロックって言われた」と言ったら「ボクは腰のブロックはやるけど、頚椎は怖くてようやらん、、、」と言われてしまった。
同じ整形外科のM先生には、「ブッロクは効くからよくなるかもよ」と言われた。入院は順番を待っている方がたくさんいて順番待ちのため、入院日前日の15時以降にしか連絡がきません。いつ入院の連絡が入るかとドキドキで仕事も手につかない、眠れない日々が続き、ネットで必死に情報収集をしていました。
ついに入院日は、「12月13日」と連絡がありました(゜□゜;)いよいよだ〜。

■検査入院12月13日

<入院 1日目>
「10時までに来てください」と言われたので、10時前に入院受付で入院の手続きをしました。その後整形外科の外来で待っていると病棟の看護師さんが迎えに来てくれた。
病室は4人部屋で、うわさには聞いていたがそれ以上に汚い・古い・狭い・暗い部屋でびっくりでした{{{{(+_+)}}}} ここで2週間も生活したら逆に病気になるんじゃないかしらって思うほどです。
13時から
脊髄造影(ミエロ)があるので「11時以降は絶飲食です。」と看護師さんに言われました。同じ部屋の人には昼食が配られ匂いにそそられておなかがなりそうだったので、パジャマに着替えたり持ち物をロッカーに入れたりして病人になる準備?を始めた。
13時少し前に看護師さんが部屋に呼びにきたので看護師さんと検査室に降りた。私は2番目なので、廊下で待っていたが、今までこんなに緊張したことがないくらい緊張してドキドキでした(O.O;)(o!o;)前の人が終わりいよいよ私の番です。透視台の前に立つと看護師さんが「ちょっとだけごめんねー」と言ってパジャマのズボンとパンツを少し降ろしたおしりが見えて恥ずかしいじゃない!って思っていると透視台が横に傾いていき、いつの間にか透視台の上に横になった状態になっていた。へえ〜今はこんな風になっているんだ、、、とヘンに感心していると「じゃ、今から始めるから丸くなってね」と言われました。膝を抱えて痛くありませんように、、、とひたすら祈っていた。背中にひんやりとたっぷり消毒液が塗られチクンとしただけでその後は痛くもなんともなく、透視台が傾いていろいろな角度からレントゲンを撮り最後にCTを撮って脊髄造影は終わった。病室へは車椅子で戻り検査後2時間はベット上安静でした。検査が無事に終わってほっとしたのかぐっすりと寝ていた。夜寝る前にトイレの鏡で背中を見たら大きなガーゼがペタリと貼ってありました。


<2日目>
昨日のミエロの副作用で頭が痛くって起きられない。脊髄造影の説明書には、「副作用として頭痛、吐き気、神経症状の悪化がまれにあります。」と書いてあったが、きっと大袈裟に書いているから副作用なんて関係ないも〜んヾ(´▽`;)ゝエヘヘと気軽に考えていたが、その「まれ」にみごとに当たってしまったのでした。トホホ、、、造影剤を体から出すために水分をたくさん摂るようにと言われていたので昨夜も必死でお茶を飲んだのに、、、、起き上がるだけで頭がガンガンして座ることすらできない。ただベットで横になっているだけでした。
食事も食べれずトイレに行くのも必死の思いでした(T-T)(T-T)(T-T)(T-T)(T-T)(T-T)

<3日目>
今日は、椎間板造影(ディスコ)があります。検査室の前で座って待つように言われたが、頭がガンガンして座っていられず、結局椅子に横になったままで順番を待ちました。
椎間板造影は頚椎の椎間板に造影剤を入れるので仰向けに寝た状態で、顔に布をかけられた。消毒、麻酔の注射、造影剤を入れての撮影、おとといと同じようなことを頚椎でやってると言う感じで今回はまったく緊張しなかった。最後に炎症止めと痛み止めを入れて終わった。病室へは車椅子で戻る予定だったが頭が痛くって座っていられないのでストレッチャーで運ばれることになりI先生も見かねて点滴の指示をだしてくれた。こんなにつらい思いをしてやった椎間板造影だったけど、痛み止めの効果はまったくなく、次回は神経に直接痛み止めを入れる
神経根ブロック(ルートブロック)をすることになった。

<4日目>
今日も頭痛は続き痛み止めを飲んでも座薬を入れても治まらない。当然食事も食べれなかった。担当の看護師さんには「食べないから余計によくならない。」「ムリしてでも食べなさい」と言われてとても悔しく涙がでてきた・゜゜・(/。\)・゜゜・.この病棟では毎日手術が何件もあり看護師さんたちがバタバタしているのがよくわかり、病棟全体があわただしかった。私みたいに手術の対象でない患者には手をかけてくれないのかしらって思ったくらいです。

<5日目>
回診時にI先生が持続点滴の指示を出してくれた。I先生だけは私の気持ちをわかってくれてなぜかとてもうれしかったo(^-^)o

<6〜7日目>
土日で病院はお休みのため静かでした。子供たちがお見舞いに来たが一緒に騒ぐ気力もなくベットにゴロリと横になっているだけでした。病棟も当然手術はないので静かで休養するにはいい環境でした。

<8日目>
今日は、神経根ブロックの日です。回診の時、K先生に「あんまり頭痛がひどかったら可哀想だから延期するけど、どうする?」と聞かれました。退院が延びるのもイヤだったので「今日 お願いします!」と言ったら「じゃ、痛いけど頑張ってね!」と言って出て行きました。えっ、痛いって何?神経根ブロックが痛いってこと???と急に不安になってきました(TT; )( ;TT)神経根ブロックは、この前の椎間板造影と同じように仰向きになり顔に布をかけられた。痛みのある神経に直接痛み止めを入れる注射で、注射針が神経にさわった瞬間指先までビリビリと電気が走りびっくりした。K先生に「これがいつもの痛みでしょ?」と聞かれ「そうですぅ、、、」と答えるのが精一杯でした。しばらくは右腕全体がじんじんとしびれていました。夜、主治医のY先生が「どう?」とのぞいてくれた。「手がじんじんしびれています」と言うと「いい具合に痛み止めが入ったみたいだね。これが効かなかったらまた別途相談」と言われた。別途相談って何?とちょっと気になったが、それ以上は聞かなかった。ミエロの副作用の頭痛も今日はだいぶラクになりやっと持続点滴からも解放されました。

<9日目>
やっとお風呂に入ることができてさっぱりした。なんとか普通の生活ができるようになった。昨日神経根ブロックをやってくれたK先生と廊下で会い「しびれはどう?」と聞かれた。「だいぶよくなりました。」と言うと「とどめにもう1回ブロックをやって退院かな?」と言われた。やっと「退院」の言葉がでてきてうれしかったです。

<10日目>
今日は主治医Y先生の回診日でした。ブロック後のしびれや痛みの状態を聞かれ「もうできることはやったので、もう1回ルートブロックをするかどうか、外泊して家でよく相談して来て」と言われた。同じ部屋の人のいびきで寝られずこれ以上入院が長引くのはイヤだったので「今日もう1回やって最短で退院したい」とお願いした。昼から再度神経根ブロックをした。担当はI先生だった。「K先生ほど上手じゃないけど、丁寧にやったからね」と言ってくれてうれしかった。

<11日目>
祭日なので病院もお休み。相変わらずいびきはすごかったが、今晩一晩だけだと思いひたすら耐えました└(T_T;)┘

<12日目>
回診後、無事に釈放されました。その足で自分の病院に行き、T先生やM先生に報告しました。2回の神経根ブロックをして、上腕のしびれや痛み、首から肩にかけての痛みはまったくなくなった訳ではないが、かなり改善されました。ミエロ後の頭痛の件は、「若い人ほど、男性より女性に出やすい」「若い証拠だよ」とM先生に言われた。
今回の入院は脊髄造影の副作用の頭痛のためほとんどベットで寝たきりだったので、すっかり体力が落ちて退院後は何をするにも息切れがして普段の生活に戻るまでかなり時間がかかった。

■検査入院後

年末年始はそれなりにおとなしく過ごしていた。年末に予定していた北海道スキーも泣く泣くキャンセルした。(>_<)ゞグスッ
年が明け仕事が始まってからはいつものように仕事をこなしていたら、やっぱり頚部の痛みやしびれが徐々に復活し、また自分の病院で痛み止めをもらったり、
トリガーポイント注射のお世話になっていた。

<17年1月 検査入院後の診察その1>

痛みやしびれがぶり返してきたことをY先生に報告した。
やっぱり
手術しかないかな?」と先生。「このままだと悪くなることはあってもよくなることはない」とはっきり言われた。前の患者さんには手術は進めていなかったので、やっぱり私は手術対象なんだ、、、と少し落ち込みました。(+_+)手術は、前方固定術で腸骨を移植 するらしい。前方固定だと髪の毛を剃らなくてもてもいいので不謹慎だけどちょっと安心した。とりあえず急を要するものではないから次の診察までに家でよく相談してくるように言われた。それまでは、T先生に痛み止め薬をもらったり、注射をしてもらうようにと。
さすがに「手術」と言う言葉がでてくると不安になり自分の病院の先生にも相談しました。M先生には、「Y先生は経験も豊富だから心配ないよ。思い切って手術した方がいいんじゃない?原因も交通事故だから早くすっきりした方が精神的にもいいと思うよ。」と言われ、T先生には「首の手術は大変だからよく考えて、、、」と言われた。他の科の先生に聞くと「脳外科の方がいいんじゃない?」「顕微鏡の手術の方がいいよ」とか「セカンドオピニオンは?」などいろんなことを言ってくれるので却って混乱しそうでした。(;゜〇゜)
だんだん痛み止め(ロキソニン)も効かなくなり薬の種類を変えてもらった。今まで丈夫だと思っていた胃も痛み止めのせいでズキズキと痛むようになり胃薬も必要となってきました。お風呂に入ってもなかなか温まらずずっと冷たいままの感覚がある右手がイヤだった。

<2月 検査入院後の診察その2>
このままずっと痛みやしびれが続くのはイヤだ!!と言う思いがだんだん強くなり「
手術をする」ことに気持ちが傾いていた。診察に主人も一緒に行って話しを聞いた。Y先生には、「やることはやったのであとは手術しかない」と言われた。スキーに行っても痛みのためまったく何もできなかったこと、ロキソニンが効かなくなってきたこと、自分の病院のM先生にも手術を進められたこと等を話した。もう一度MRIやミエロの写真を見ながら主人にも詳しく説明してくれ、術後1〜2週間はベット上で安静、その後カラーをつけて離床、術後の経過がよければ3週間で退院、その後3カ月間はカラーの着用が必要だと言われた。手術の日にちは、子供の卒園、入学があるので4月中旬以降がいいと言うと 今、日にちを決めるのは早すぎるから来月の診察時に決めることになった。それまでは、「T先生に痛み止めや注射をしてもらっていいから」と言われた。

<3月 検査入院後の診察その3>
診察は手術日を決めるためのものだったので、淡々と終わりました。
4月13日入院、15日
手術と決まり、手術前日の夜に、家族の人に手術の説明をすることになりました。
やっと手術日が決まって気分的にも落ち着いた。
しばらく仕事も休まなくてはいけないので、職場のみんなに迷惑をかけないためにもきちんと引継ぎをしておこうと思った。




■ 手術(前方固定術)

<4月13日入院>
主人はカナダ出張中でいないので一人で入院した。
前と同じ4人部屋、相変わらず、暗くて汚くて狭い部屋だけど、しかも今回はかなり平均年齢が高い( ̄□ ̄;)!!部屋だけじゃなく病棟全体の年齢層がかなり上だ〜llllll(-_-;)llllllでも二度目の入院なのでそれなりに要領もわかっているから気楽です。ちょうどY先生が部屋の患者さんを回診中で、「明日の夜、家族の方に説明します。手術は、15日の9時からだよ。」と教えて下さいました。私はてっきり昼からだと思っていたのでちょっとびっくりした。前入院した時に、「同じ日に何件か手術がある時は、年寄りから先にやるんだって、、、」と聞いていたのでこの病棟では絶対に若い部類に入る私は、昼からの手術と思い込んでいた。担当の看護師さんにも「朝一番の方が気分的にもラクだよ。」「二番目、三番目の手術だと時間も遅れたり、早くなったりで読めないしね。」と言われ、ドキドキしながら昼すぎまで待つことを思えば朝一番の方がいいか、、、って自分自身を納得させた。
手術の時間は4時間程度、術後は砂ノウで首を固定、1週間はベット上安静、術後はたぶん個室に移るだろうと言うことを看護師さんから聞いた。入院治療計画書には、「手術後1週間ベット上安静」としか書いてなかった。腰のヘルニアの手術の人や首の後ろから手術をする椎弓形成術の人には、ちゃんとクリニカルパスがあって、手術前後の予定が1日単位で書いてあり退院まで何をするのかが一目瞭然でわかるようになっているけど、私のような頚椎の前方固定術は珍しいので、クルニカルパスもないらしい、、、今日は女性の入浴は午前中なので、さっさとお風呂に入ってさっぱりした。隣のベットのおばあさんのいびきは昼寝でも豪快だった、、、(+_+)

<4月14日手術前日>
手術前日なので朝から検査だらけでした。喉の細菌の検査、尿、血液、肺活量、胸のレントゲン、心電図でも朝の1時間のうちにすべて終わった。昼から麻酔科の先生に「麻酔」についての説明を受け麻酔の承諾書にサインをした。だんなは夕方カナダから帰国しその足で病院に来てくれた。Y先生からの説明は夜8時半過ぎてから始まった。MRIやミエロの写真と頚椎の模型を使っての説明でした。先生自身1000例を越える執刀経験があるが、頚椎の前方固定術は、17例ほど。頚椎ヘルニアの人は、ブロック注射が効くので手術になる人は1割程度。メリット・デメリットいろいろと聞かされて想像以上に大変な手術なんだ、、、と不安になったが、Y先生の「手術をすれば改善されます」の言葉がとても心強かったので納得して手術承諾書にサインをした。説明が終わったのは消灯時間を過ぎていた。下剤と眠剤を飲んだが、やっぱり寝られず、夜中まで友達と携帯メールをしていた。(*'-'*)エヘヘ

<4月15日手術当日>
朝も早く目が覚めた。下剤の効き目が全くないので浣腸をすることになった。初めての経験だったけど、トイレに看護師さんと一緒に入ってお尻をだしたり、浣腸して出たものチェックまで受けなくてはならず、とても情けない気分でした。(/。\)友達からたくさん励ましのメールが来たのでみんなに返信をした。私のまわりではバタバタと看護師さんが手術の準備をしているのがわかった。手術用の病衣(浴衣)に着替えてT字帯をつけた。ホントにフンドシだった。8時すぎにはY先生が部屋をのぞいてくれ「じゃ、あとで」と声をかけてくれた。あっと言う間に時間になり、持続点滴につながれ肩に注射を打たれた後、部屋のベットごと手術室の前まで移動です。もっと緊張するかと思っていたが、意外と冷静な自分がいた。手術室の前で手術室のストレッチャーに移り、いくつか角を曲がって入った部屋のライトの下にストレッチャーは固定された。私がキョロキョロと周りを見回していると、麻酔の先生に「手術は初めて?」と聞かれ「はい」と答えたあと、口にマスクを当てられ、一気に記憶はなくなった。麻酔ってだんだん眠くなるものかと思っていたが、そうじゃないのね。
「○○さん、終わったよ」の声はかすかに聞こえたが、どこで聞いたか記憶はない。「まだ寝ていたいのになんで起こすの?」と思った覚えはあるが、どこで思ったのかわからない。病室に戻ってY先生が主人に「かなり神経を圧迫してたからこれで楽になるはずです」と言っていたのだけははっきりと覚えている。でもその時Y先生に「手を上げて」とか「足を動かして」と言われて私はその通りにやっていたと主人は言うがその記憶は全くない、、、、主人に時間を聞いて「1時だよ」と言われてそんな時間がたってたんだ、、、と思った。あとからどんなに考えても手術が終わって病室に戻るまでのことは断片的にしか思い出せない。まだ自分の体がどんな状態なのか把握できず、麻酔のせいか眠たいのでしばらく寝た。目が覚めて改めて自分の体を見ると口には酸素マスク、首と腰には大きなガーゼが貼られ首からはドレーン、尿もバルーンが入っていた。自分の体なのに自分ではどうしようもできなかった。元の部屋ではなく個室に入っていた。
しかも手術前に着た病衣は脱がされ体の上にかけてあるだけ、おまけにT字帯も外されてスッポンポンでした。キャ(/\)
首の傷は全く痛みは感じなかったが、採骨した腸骨はズキズキと痛かったです。体の向きを変えるのも看護師さんの介助が必要でその度に呼ばなくてはならない。もちろん動かすと腸骨に響きズキズキと痛い。
喉が渇いて仕方ないので看護師さんに訴えたら今日は「何も飲めない」と言われ口を湿らせてくれたがこんなんでは何の足しにもならないじゃん!!だったら我慢するわ、、、とふてくされて耐えることにした。痛みと戦いながらもふと我に返ると、何も着ていない自分に怒れてきた。夕方もう一度Y先生が覗いてくれ「しびれはどう?」と聞かれた。こんな状態じゃ、わかんないよ〜って思ったが、とりあえず「ありません」と答えた。痛みが治まっているときは、友達に「無事に終わったよ」のメールを送ったりしたが、やっぱり手術当日はつらく夜もとても長かった。手術って手術中より終わってからの方が大変なんだ、、、ってしみじみ感じた。しかも夜中に持続点滴が漏れてしまい再度さされた。今回の方がずっと痛かった、、、(T_T)

<4月16日(術後1日目)>
朝、看護師さんがお茶を飲ませてくれた。ゴクゴク飲めてうれしかった。朝食から流動食が出たけど、流動食なのでそんなにたくさん食べる(飲める?)ものでもなくほとんど残してしまった。喉が痛くしゃべるのもつらい。やっぱり腸骨は痛いけど、痛みに体も慣れてきたせいか我慢できないほどではなくなった。首のドレーンも抜けたので、寝返りは自分でできるようになり砂ノウもなくなった。体を看護師さんに拭いてもらいパジャマに着替えてすっきりした。理学療法士さんが部屋まで来てベット上のリハビリも始まった。
頚部の痛みや腕のしびれはまったく感じなくなっていた
<4月17日(術後2日目)>
食事は3分粥になりました。寝たきりなのでストローで吸わなくてはならず食欲はでません。喉の痛みも強く飲み込めない。腸骨は相変わらず痛いが痛いなり動かすコツを取得した。でも咳やくしゃみだけはどうしようもなく、ひたすら耐えるのみでした。

<4月18日(術後3日目)>
だいぶ体もラクになってきた。首の痛みはまったくないが、寝たきりのため肩こりがすごかった。喉も痛みもまだとれない。回診のK先生にも「退屈でしょ?」と言われた。だんだん寝ていることが苦痛になってきた。天井しか見えない。食事や歯磨きも寝たままでできるようになった。寝たきりなので食事もベットの上に置いていくだけで中に何が入っているか見えないから、いちいち食器を傾けて中身を確認しなくてはいけなかったしスプーンやストローも必死で頭床台に手を伸ばしてとらなくてはいけなかった。中には、スプーンやストローをだしてくれたり、お皿の中身を教えてくれる看護師さんもいたが、ほんの僅かな人だけだった。もっと看護師さんが気づかってくれたら、、、と思った。今日で持続点滴が外れた。バルーンが入っているため「水分はたくさん摂るように」と言われた。

<4月19日(術後4日目)>
看護師さんがベット上で頭を洗ってくれた。寝たきりの時は頭も洗えないから思っていたのでうれしかった。シャンプーをしてさっぱりして、体も拭いてもらった。シーツも変えてもらったのでベットもすっきり。術後、便が出ていないので、夜下剤を飲んだ。

<4月20日(術後5日目)>
やっと喉の痛みが取れてきた。が、寝たままなのでお腹もすかず食欲もでない。下剤の効き目もまったくなし。看護師さんに「浣腸」を進められたが、あまりお腹の張った感じもしないし、今晩も下剤を飲んで様子をみたいとお願いした。寝たきり生活もあと1晩かと思うと少し元気がでた。

<4月21日(術後6日目)>
病室でレントゲンを撮り、骨の付き具合を確認して離床の許可がでたが、頚椎カラーの手配ができていなくあわてて装具屋さんがカラーを持ってきた。
頚椎カラーをつけてまずベットの上に座る。やっと下から見上げる視界から解放された。「立てる?」と言われて立ち上がる。やった!立った。「じゃ、歩いてみる?」と言われ歩行器を持って足をだす。左足をだすと腸骨に響く。なんとか病室内で数歩歩いたが急に頭がクラクラしてきてダメだった。そのままベットに戻された。トイレだけは自力で行きたい!って思ったので、しばらくしてから再度挑戦。カラーをつけて歩行器を持って歩く、腸骨が痛いのでどうしても体が傾いてしまうが、なんとか歩けた。トイレにも行けるようになったのでバルーンも抜いてもらった。食事も夕食からは座って食べることができた

<4月22日(術後7日目)>
なるべく歩行器を使って歩くようにした。腸骨は痛いけど、起き上がれることがうれしい。カラーで固定されるのはうっとおしいけど、仕方ないか。売店にも買い物に行けるようになったので気分転換にもなる。今日はシャワー室で頭を洗ってもらった。

<4月23日、24日(術後8日、9日目)>
土日は次から次へとたくさんの人がお見舞いに来てくれて退屈しなかった。同じ職場の同僚や上司、M先生やT先生も来てくれた。みんなあまりの古さ、汚さにびっくりして帰って行った。自分たちの病院に自信を持ったようです。 v(^o^)腸骨の傷がかゆくなってきた

<4月25日(術後10日目)>
朝、Y先生に「12日目にレントゲンを撮って問題なければ金曜日に
退院してもいい」と言われた。今日からは歩行器も卒業しなしで歩くようにした。腸骨の抜糸をした。糸ではなくホッチキスみたいなものだった。引っ張る時にちくっと痛かった。回数を数えていたら、8回だったので後で傷口をみたら8カ所跡があった。これで入浴の許可もでた。今日は湯船はダメだと言われたのでシャワーを浴びた。頭と体を洗ってすっきりした。自分で体を洗えるのがうれしい。

<4月26日(術後11日目)>
4人部屋に移動した。今回は、北側の部屋でした。工事中の新病棟がよく見えます。早速看護師さんに眠剤をお願いした。(過去の経験から当然ですv(^o^))
今日から1階の体育館みたいなリハビリテーション室でのリハビリになるので張り切って降りていったが、リハビリ医師の診察を受けた結果、すべてできているのでリハビリは必要ないと言われちょっと悲しかった。
Y先生に廊下ですれ違ったときに、「もう普通の人と変わらないな」と言われたけど、頚椎カラーをつけて歩いているのに、どこが普通の人なの!!(`_´)この病院では頚椎の前方固定術の人はめずらしく、ほとんどの人が後から切る椎弓形成術になるそうです。その場合は、老若男女関係なく頭は丸刈りで、どんなに歳のいったおばあさんでも髪の毛があるのに頚椎カラーをしている私を見ると「なんであの子は手術したのに髪の毛剃ってないの???」みたいな目で見られてイヤだった。でも後からの人は手術翌日には起きれるし、頚椎カラーだって退院する時には外れます。私は1週間寝たきりだったしこのカラーだって術後3カ月もつけるんだぞ〜って言いたかった。

<4月27日(術後12日目)>
主治医Y先生の回診日でした。レントゲンは問題なかったので29日の金曜日に
退院することになった。「手術してよかった?」と聞かれ「よかったです。」と答えると貴重なデータだからといってカルテに書き込んでいた。「頚椎の前方固定術は積極的には進めていないから今後の参考になる」と言われた。今日の昼からは外出許可をもらって職場までリハビリがてら遊びに行くことにした。この病院から職場の病院までバス1本で行けるのでラクでした。早速M先生につかまりいろいろと様子を聞かれた。帰りにバスに乗ろうとちょっと小走りしたら腸骨が痛くって走れなかった。やっぱりムリはできない。

<4月28日(術後13日目)>
Y先生にも回診のK先生にも仕事は、頚椎カラーはしたままでGW明けたら行ってもいいと言われた。思っていたより早く仕事復帰できそうだ。
Y先生は、回診の当番ではない日でも朝と夕方部屋を覗いて「どう?」声を掛けてくれたのでとてもうれしかったです。

<4月29日(術後14日目)>
術後2週間で退院
しました。思っていたより早く退院できたし、仕事にも早く復帰できそうなのでよかった。採骨部の痛みを除けば頚部の痛みやしびれもまったくなくなりました。寝る時と入浴時以外は、頚椎カラーをつけなくてはいけない。これから暑くなるから大変そうだ、、、

■ 退院後

頚椎カラーを付けていると車の運転ができないので、しばらくは電車通勤にした。
自宅療養の期間にリハビリも兼ねて実際に電車で通勤する練習もした。大きなカラーを付けているので、周りの人にジロジロと見られ恥ずかしかった。
GW明けからは予定どおり
仕事に復帰した。カラーが邪魔だけどディスクワークなので以前と同じように仕事はできた。しびれも頚部や肩の痛みはまったくないが、腸骨だけはまだ痛みが響くので痛み止めを飲んでいた。
月に1度のペースでY先生の診察を受けレントゲンを撮り、骨の付き具合を確認した。その度にY先生に「しびれや痛みはどう?」と聞かれ「腸骨だけが痛い」「先生、たくさん骨採ったんじゃないの?」と言うと
しびれは手術しても残る人多いからね 」と言われた。「こんなことならもっと早く手術した方がよかったでしょ?」「年末に入院した時、そのまま手術すればよかった。そしたらこんな暑い時期にカラーしなくてもよかったもん。」と言ったらY先生もうれしそうだった。手術前はどこがしびれていたのかも思い出せないくらいしびれは完璧になくなっていた。手術を進めたY先生の判断がよかったと思います。しびれがでて時間がたち過ぎると元に戻りにくくなるそうです。手術後3カ月になる7月の診察で、カラーを外す許可がでた。暑くて蒸れるのであごや首にカビが生えそうだったし、食事の時も邪魔で仕方なかったので、自由な首になれてうれしかった。車も運転できるようになった。
手術後、半年の診察でMRIとCTを撮った。ヘルニアのでっぱりもなくなり、
神経の圧迫もなくまっすぐな脊髄が映っていた。移植した腸骨も上下の頚椎となじんできていた。「思い切り走ってもいいよ」と言われたので「スキーは?」と聞くと、「スキーやスノボなど人と接触する可能性のあるスポーツは今シーズンはやめるように」と言われた。ちょっと残念、、、、術後1年は定期的にレントゲンを撮り確認する必要があるので完治はもう少しお預けです。

手術するにあたっていろいろと悩みましたが、今は
手術してよかった!と思っています。
私は恵まれた環境にあったかもしれない。私の病院の先生方はいつも「調子はどう?」と声をかけてくれます。お世話になった○○病院や私の病院の先生方やスタッフに感謝の気持ちを忘れず、医療関係者として常に患者さんの目線に立って日々の仕事に励みたいと思っています。



追突事故翌日から首と背中の痛みが強くなり、腕のしびれが出現、MRIで頚椎椎間板ヘルニアが見つかりました。ミエロ、ブロック注射後も改善されることなく手術(前方固定術)をされました。 管理者:楽楽


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