keikeiさんの闘病記(1)


頚椎椎間板ヘルニア

手術韓国で内視鏡レーザー頚椎椎間板ヘルニア切除術(PECD)
50歳代男性

初めまして、私は、現在モスクワで働いているKeiKeiといいます。2年前から米国での腰椎内視鏡手術、今回の韓国での頚椎、PECD手術と、ヘルニアに悩まされてきていますがとりあえず、現在は痛みの無い生活に戻りました
同じような状況の方に少しでも参考になれば幸いです


モスクワ 救世主キリスト聖堂

2008年腰椎椎間板ヘルニア内視鏡手術
その2ヵ月後に頚椎椎間板ヘルニア発症
みんなヘルニア仲間掲示板3に投稿

掲示板2010年6月26日(No.2470)
https://fancy-popo.com/communicate/HerFrnd/HeKxb_PJRmYC/read.cgi?mode=all&list=topic&no=868#2470
私は50代の日本人ですが、米国永住者で、2年前にミシガンで腰椎の内視鏡手術を受けました。

2008年の3月に酷い腰痛があり、MRIを撮ると、ヘルニアが発見され、ミシガンの脊髄専門医は、手術を勧めたのですが、我慢して6月まで色々と自力で治そうと努力をしました。
しかし、それが祟って、突然最悪状態になり、即手術をしました。結果は抜群に良好で、3月に手術をして置けば良かったと後悔する程でした。

ところが、手術後2ヶ月も経たない内に、左肩に痛みがあり、カイロプラクティスに行き、レントゲンを撮ると、C5/C6/C7の間が狭いと言われ、「また、ヘルニアか?」思い、医者に行き、MRIを撮ると案の定、ヘルニアが見つかりました。

しかし、ミシガンの専門医は、私の症状があまり酷く無いので、「少し様子を見ましょう。」と言って、手術はしませんでした。手術の方法については、何も話しませんでしたが、家族がテキサスに住んで居たので、テキサスに行った時にテキサスに脊椎脊髄専門医に見て貰うと、手術をするなら、C5,C6,C7の前方固定手術だと言われ、その説明を聞くと、恐ろしくなり尻込みをした程です。

しかし、痛みは、それ程酷くは無く、モスクワでの仕事のオファーがあり、モスクワ駐在を決断して、移動してから1年半が経ちました。3ヶ月毎のモスクワ、テキサスの長旅も問題無かったのですが、4週間程前に家内が日本に引っ越してしまった為に、テキサスに戻って、短期間に車、家具、家の売却の手配をしましたが、その為か首の痛みが増してきて、モスクワに戻ると、もう痛み止めを飲まないと通常の生活が出来ない程になっていました。

モスクワには、European Medical Center と言う外国人専用の病院があり、診て貰い、MRIを撮ろうとしましたが、痛みで首が真っ直ぐにならずに、MRIは撮れませんでした。
Internetで頚椎ヘルニアを調べている内に、韓国の脊椎手術が、日本、米国以上に進んでいる事を見つけて、仕事での知り合いの韓国人に連絡した所、釜山にウリドゥル脊椎病院があり、世界的にも有名だとの事だったので、直ぐに飛行機と病院の予約を取って、6月25日(金)に釜山に入りました。直ぐに、色々な手版を踏んで何とかMRIを撮影し、C6とC7の間のヘルニアがはみだしている事が今回の痛みの原因であると解り、これを治すのは、内視鏡手術で簡単に治るのだが、C5とC6の間のヘルニアが固まっていて、これを治すには、C6骨と椎間板を取り去り、人口骨を入れ、チタンプレートをビスで留める方法が良いと、担当医に言われました。

付き添ってくれたこの病院を紹介してくれた韓国人は、驚いて、彼の兄弟の内科医に相談したら、プレート固定手術は、後で後悔している人もいるから、良く考えてから行った方が良いとのコメントでした。

取り合えず、自分の考えてとしては、C6とC7の現在飛び出して、痛みを発生しているヘルニアを内視鏡手術で取り除き、様子を見ようかと思っています。6月28日(月)にウリドウル病院長と面談して、最終決定をする予定ですが、知り合いの韓国人は、彼の奥さんの知り合いの釜山大学病院にも行ってから決めたら良いのでは、と言ってくれています。今日は、釜山で有名な鍼にも連れて行ってくれました。効果はほとんど無かったですが。。。
もし、プレート固定手術しか方法が無いのなら、家内の居る日本に行こうかとも思っています。しかし、ここウリドウル病院の技術はかなりレベルが高そうだし、医院長が手術をしてくれるとも言っていて、今思案中です。


サンクトペテルズベルグ
血の上の救世主教会



掲示板に投稿された記事はここまでとします。以降、メールでの手記を掲載いたします。内容は一部重複する箇所があります。管理者:楽楽




サンクトペテルズベルグイサク聖堂


2010年6月モスクワ~北京~韓国釜山
6月24日(木)モスクワ空港より北京へ、北京空港から韓国へ

電光掲示板を見ると「北京行き」は8時40分のサインが出ている。
「やっぱりAir Chinaはいつも遅れる。」
7時45分出発予定便が55分すでに遅れている。天津OMGのZhangさんが、いつも文句を言っていたのを思い出す。10時間遅れで朝まで北京行きを待っていた事もあったようだ。北京での乗り換えは3時間半あるので、55分遅れで出発してくれれば、釜山行きに乗り遅れる事はない。
3時間も待ち時間が出来てしまったので、TGI FRIDAYに入って、ビールとハンバーガーを頼んだ。
相変わらず、左の背中から左腕に掛けての痛みが酷い。テキサスで医者に出して貰った痛み止めを一日2回から3回飲んでいるが、もう痛みはそれでは耐えられない位になってきた。ビールでも飲んで紛らわせれば良いのだが、なかなかそう上手くはいかない。ハンバーガーを食べながら、AATの島村さんにメールを出した。
「北京行きの飛行機が55分遅れです」と、すぐに返事が返ってきた。
「心中、御察し致します。がんばって下さい」
早く、韓国釜山で手術を受けて、頚椎ヘルニアを治したいと思った。

先週日曜日には、モスクワのヨーロピアン、メディカルセンターでMRIを撮ろうとしたが、
「痛みで頭が平らにならないのでMRIを撮る事が出来ません。」
と係りのロシア人に断られた。
そこに居る日本人の若い医者も頼り無い医者に見えたのでモスクワはすぐに諦めた。

出発2時間前になったのでチェックインの列に並んだ。荷物もそれ程は多くは無く、通常なら、チェックインしないで、機内でオーバーヘッドビンへ入れるのだが、今回はスーツケースをそこまで自力で持ち上げる自信が無いのと、乗り換えは一回で時間も十分あるので荷物が乗り換え出来ない事も無いと思ったので、スーツケースはチェックインする事にした。
昨日、飛行機の予約を取ったので、座席はボーイング767の後ろから6,7番目。それも通常の通路側ではなく、真ん中の内側。最悪。さらに座席に座ろうとすると、すでに座り込んでしまった65歳くらいの中国人のものぐさそうなおばあさんが、動こうとしない。私が、「座席に入れないから動いてください」と英語で言っても、中国語で訳のわからない事を言って動こうとしない。若いフライトアテンダンスに言って、
「何処か他に空いている席は無いか?」と聞いたが、「このフライトは満席で空席は一つもありません」
と言われた。仕方なくおばあさんを動かして貰って、座席に座った。暫くしても私のおばあさんと反対側に人が座らない。その一つ向こうの通路側には、中年の中国人おばさんが座っていた。その空いている隣の座席に移動しようとしたが、見ると一つ後ろの座席は、2つ空きがある。通路側も空いている。もう出発の時間で飛行機のドアも閉まったようだ。思い切って、後ろの通路側に移動した。その座席には誰も来なかった。
「フライトアテンダンスも面倒だから、いい加減な事を言っているなあ」と思った。

6月25日(金)

飛行機は元の予定から約30分遅れで北京に着いた。少しスピードを上げて出発の遅れを取り戻したようだ。北京空港は今年4月に天津に仕事で行った時に来たので、立派な空港である事は知っていた。2年前の北京オリンピック直前に完成したので新しくて広々としていて、これが中国の飛行場とはとても思えない。モスクワの10倍くらい広い感じだ。
シートベルトのサインが消えると同時に、私のすぐ後ろに居たロシア人のオッサンが立ち上がって、通路を押して前に移動して来た。「なんて、ずうずうしい奴だ」と思って。
「Oh My goodness!」
と小さな声で言ったつもりが聞こえたとみえて、彼は、
「Transit, Transit」と言い訳をしていた。私は、
「So, What? Me too.」
と言いたかったが、背中の痛みで言い争いをする元気もなかったので止めた。
乗客は何百人もいて、3人や4人前に出ても、全く意味が無いと思った。
飛行機がターミナルに着いてから、機内で30分は待ったと思う。飛行機の最後端なので、乗客が降り始めてから、私達の場所の人が降り始めるまで、かなりの時間が掛かる。ようやく、私達の順番になったと思ったら、私の前に居た中国人の中年男が荷物をオーバーヘッドビンから取り出し始めた。全部で6つ。
「ちょっと、機内荷物は2つまででない?」
とは思ったが、良く見ると2つは自分の荷物らしく、後の4つは、機内のDuty Feeで買った物らしい、大きなプラスティックバッグ。一つの袋にはチョコレートらしき物が少なく見ても30個は入っている。親戚、友達に配るのだろうか?
「まあ、それはどうでも良いけど、早くしてよ。もう。あなたの前は、ずうっと先まで通路は空ですから」

すぐにトランジットに行った。モスクワからの機内で、「Transit, Transit」と騒いでいたロシア人のオッサンが息子らしき子どもと、私のすぐ前で並んでいる。
「全く、何の為に他の人を不愉快にさせたか解らないでは無いか?」と思う。
私の順番になりトランジットカウンターを通過しようとした。
「釜山行きのボーディングパスを見せて下さい。」と係官が言ったが、私は持っていない。係官が、
「チケットカウンターでボーディングパスを発券して貰わなければならないです。」
というので係官が指差した方へ歩いて行こうとすると客の一人が、
「そっちは閉まって居るから反対の方向に行け」とかなり遠くの方を指差した。
もう一人の大きなバックパックを背負った若者もボーディングパスを持ってなく、私と一緒に歩き始めた。広い飛行場の中で彼は、大きな荷物を背負ってどんどん歩いて行くが、私は殆ど荷物が無い状態で亀の子にみたいにゆっくりしか歩けず、彼がチケットカウンターについても、まだ私は30mも後を歩いていた。首は、もう真っ直ぐには立てては置けず右前方に傾けていないと背中の痛みが酷い状態だった。

韓国のアセアナ航空に乗り換え、釜山に着いた。アセアナ航空はエコノミーであるにもかかわらず、食事はちゃんと陶磁器の食器にステンレスのナイフ、フォークだ。サービスも良く行き届いている。
10分も待たず、移民局を通過。韓国の移民局は早い。後でチョウさんが、「世界で一番早い」と言っていた。
世界で一番かどうかは解らないが、私の飛行場の経験からは多分一番だと思う。ただし、米国からメキシコに入る陸路の移民局は、信号が赤にならなければ何も無く、これ以上早い所は無い。


釜山に到着後ウリドウル病院へ直行
いよいよ ウリドゥル病院へ

持っていた70ユーロと150ドル紙幣をウォンに換金してから外に出た。
午後2時半。人は殆ど無く、DIETECチョウさんが反対側の出口で待っていてくれたが、遠くからでも見えるのですぐに見つけられた。

ホテルに寄る事も無く、その足でチョウさんと直接ウリドウル病院へ。4時にアポイントメントが取ってあった。町の中の病院で10階から13階までが病院となっている。米国の病院のイメージとは大分違う。広い待合室に着くと、コーディネーターのHaさんが登場した。最初は彼女が医者かと思った。彼女は美人で頭はよさそうだったが、私の首の手術をするというのでは、「ちょっとどうかなあ。」と思えた。
コーディネーターというので安心した。彼女は英語が非常に上手だった。彼女の案内で、対応する医者の部屋に連れて行かれた。医院長は今手術をしているので、別の医者が対応してくれると言う。なぜか医院長が私を見る事になっていたらしい。その医者は、私が持って行った2年前のMRIのCDをコンピューターに映し出して、コメントをした。
「2年前にこの状況でどうして手術をしなかったのですか。その時に手術をしていれば、もっと簡単だったと思いますけど」と言った。
私は、
「米国の医者は様子を見ましょうと言って手術はしなかったのです」と説明した。
「解りました。いずれにしても、今日検査をして、月曜日に医院長に会って決めて貰い、来週に手術になると思いますので、週末を少しでも楽に過ごせるように、痛み止めの注射をしてあげます。」と言った。
「痛み止めの注射?まさかステロイド注射ではないのだろうか?」
と思ったが、その時には聞かなかった。ステロイド注射はいままでに遣った事は無かったが、インターネットで何度も遣った人の記事を読んでいるが、凄く痛いわりに、「効果が無かった」という記事がほとんどだった。
痛み止めの注射の場所に行くと、
「痛み止めの薬を入れるとCTが撮れなくなるのでCTスキャンを先にやります」とHaさんが説明してくれた。やっぱり、ステロイド注射に違い無いと思った。CTは特に大きな問題も無く撮れた。そして痛み止めの注射へ。部屋に行くと、大きなX-レイらしき物が手術台の上にある。
「これは、ステロイド注射ですか?」
とその時に初めて聞いた。Haさんは難なく、「そうです」と答えた。
チョウさんが、「何か問題ですか?」と聞いたので、
私は、「いやあ、ステロイドは痛い注射だと聞いていますから」と答えたが、涙が出そうだった。
痛みで首が平らにならないので、高い枕を入れて貰って、台の上に寝そべった。胸の辺りを大きく消毒してから、医者は麻酔を打ち始めた。5,6本打ったと思える頃、いよいよ、ステロイド注射針を入れて来た。少しずつ針を入れて、患部に当たると、「痛いー。」と思わず声を張り上げた。
背中から、腕まで、左側全てにしびれが回った感じだった。続いて、第2段もすぐに行われた。同じような激痛が腕に走り、注射は終わった。


台から、降りたら、チョウさんが、
「どう痛みは少し良くなった?」と聞いた。
「冗談じゃないですよ。痛みは10倍になりましたよ」と言いたかったが、
「うん、まだ、ちょっと解りませんね。」と答えた。

続いてMRI。首が真っ直ぐにならないとMRIは撮れないという事で傷み止めのステロイド注射をしたのだが、実際にMRIの台の上に寝ようとすると、ステロイド注射をする前と同じ位、頭を上げないと、とても、背中と腕の痛みを我慢出来ない。
「一体ステロイド注射は何の為にやったのだろうか?」と思う。
5人がかりで良い体制を作ろうとするが、良い案が無い。
私が
「尻を少し上げれば、頭はもう少し下がりますよ。」
と見せると、彼らは私の尻の下に枕を入れてくれて、何とかMRIを撮れる体制が出来た。この体制で20分との事だった。
多分大丈夫だとは思った。
何とか、20分後にMRIを終了。起き上がると同時に、チョウさんが入って来て、
「keikeiさん、こんな状態で今までよく我慢しましたね。ヘルニアで真っ白だよ
と言って来た。MRIを撮っている間に画面に写った映像について、若いMRI技師達がチョウさんに説明してくれたらしい。
C6とC7の間の飛び出したヘルニアが神経を押し潰して居て、千切れそうになっている部分があるそうだ。確かに痛みは結構酷かったとは思うけど、インターネット等でよく見かける、
「手が痺れて、握力が無くなった」とか
「足が痺れて歩けなくなった。」
とかは無かったので、まだ、それ程は酷い状況では無い。と私は思っていた。
レントゲン撮影も終わって、また前の医者に検査結果を聞くために待合室で待った
Haさんに呼ばれて、医者の部屋に入るなり、医者は、
「大分状況は悪いです。どうしてこんなになるまで放っておいたのですか?」と言う。
「まずは、C6とC7の間のヘルニア。これが現在の痛みの原因になっているが、これを取るのは、それ程難しくは無い。問題はC5とC6の間のヘルニア。2年前からあったので、もう固まっている。これを取り除くには、C6の骨を取り除き、人口骨を入れ、首の前からチタンプレートを取り付け、ビス止めをして、C5,C6、C7を固定する方法が良いです。
「それほど珍しい手術でなく、前にやった人のMRIをお見せします。」と言ってコンピューター画面に出した。
喉の当たりにプレートと2つのビスが明らかに見える。何か人間の身体だとは思えない。と私は思った。internetでも何回かは見た事はあったが、病院で私がその宣告を受けて、見るのとは大違いだ。

これを聞いていたチョウさんも、かなりショックだった様だ。
私は、同じ様な手術方法をテキサスの医者にも2年前に言われていて、ある程度、覚悟はして来たものの、
「ここの病院なら、別の簡単な方法で対処できるのでは?」
と期待してわざわざ、米国も日本も差し置いて韓国に来たので、少なからずショックだった。
医者は、「月曜日に医院長に判断して貰いますが、多分、医院長も同じ意見だと思いますよ。」と言った。
Haさんに「月曜日朝9時半に来て下さい。」と言われて、私とチョウさんは、「お先真っ暗」と言う感じで病院を出た。
痛み止めの薬を出して貰ったので、1階の薬屋で買って帰った。
チョウさんは、「元気付けに焼き肉でも食べましょう。」と言って、炭火焼き肉屋に連れて行ってくれた。ブルコギがなかなか美味しかった。

6月26日(土)

午前8時にチョウさんがホテルに来た。朝ごはんを近くの店で食べてから、チョウさんは、「私の知っている有名な漢方に行きましょう。もしかしたら、そこで良くなるかも知れないから」
と言う。車で乗り付けると小さな家で若い女性が2人で受付と血圧等の簡単な診察をやっていた。9時半頃になると、偉そうな人が現れて、診察室の方へ歩いて行った。先生らしい。私達の前に腰痛らしきおばさんの患者が息子らしい人と居て、息子にささえられて病室に入って行った。

約10分後に我々が呼ばれて、診察室に入った。チョウさんは、先生に韓国語で私のヒストリーを10分から15分くらい説明をしてくれて、先生は私に、「では、そのベッドに上向きに寝て下さい。」と言う。
「枕が無いと寝られないです。」
と私が言うと、先生は小さな枕を置いた。多分それでは駄目だろうと思ったが、その状況を見せようと上向きに倒れようとした。
ちょっとのどを詰まらせて、が出始めてしまった。これは、ヘルニアとは、関係なかったのだけど、先生は、ヘルニアから来ていると勘違いした様で、
「何で、こんなに悪くなるまで、放って置いたのだ。」と私に文句を言った。
「首を斜め前の方へ自分で引っ張ると少しは痛みが良くなるから、毎日やってみてください。」と言う。
先生が大きな手で、私の首を引っ張ると、腕がしびれる程痛い。手を離すと、またさらに痛い
「うーん。あんまり、よくなった気がしないのだけど。」と思った。

治療室の方へ移動させられ、チョウさんも治療を受けると言うので、隣り合ったベッドに座った。チョウさんは、横になったが、私は出来ない。先生は背中の痛む所にぼちぼちと鍼で穴を開け、そこから吸盤で血を吸い取っている。私は黒い血が出ていると言う。
それが、終わると、今度は鍼。なぜか、右の手に一本。右足に一本。左手に一本。それぞれ、5,6センチの鍼で、それが全て中まで入ってしまうので、恐ろしい。そんなに深くまでさして、大丈夫なのかと思う。その状態で40分。終わってから、チョウさんが、「どうですか?良くなりましたか?」
と私に聞いた。
「私はそうですね。少し良くなった気もします。」
とは答えたものの、実際には、それ程良くなったとは思えなかった

昨日のウリドウル病院の診察結果に基づいて、チョウさんは彼の奥さんや、兄弟の医者に相談したらしい。
チョウさんの奥さんは、
「釜山大学病院の先生を知っているので、そこで別の医者の話を聞いてみたらどうか?」
チョウさんの兄弟の医者は、
「手がまだそれ程しびれて無く、歩ける程度なら、まだそれ程は悪く無いから、漢方などをやって見てから効果が無ければ、手術に決めたらどうか。」
「背骨固定手術をして後で後悔している人もいるから、できるだけ遣らない方が良いのではないか。内視鏡やレーサーの手術なら大丈夫だと思うけど。」
等の意見を言ってくれたそうだ。私も前方固定手術には抵抗が無い訳では無い。

DIETECの事務所に向かった。DIETEC事務所には、李さん、高さん、金さんが出社していた。若い連中も2階に出社していた様だった。近くのうどんやで韓国風うどんを食べて、ホテルに帰った。高さんのお母さんが最近、病院でひざの手術をしたそうだ。私は、高さんに、
ひざなら、最悪足を切り取っても生きられるから大丈夫ですよ。首では切り取る訳には行きませんからね。」と変な事を言ってしまった。

夜になって、またinternetでヘルニア手術を調査始めた。
特に、Wooridul病院で、「前方固定術しか方法が無い」と医者に言われたので、「前方固定術」を中心に調べた。
前方固定術をした人の多くは、「今まで我慢してきた痛みに比べたら、手術をして痛みが無くなってよかった。」だった。でも、記述が古そうなので、もっと新たしい情報をと思って探していたら、
「みんなヘルニア仲間」というサイトが見つかった。
誰でも良いから、少しでも、Wooridul病院とか前方固定術とかの情報が入ればと思って、投稿してみた。

6月27日(日)

朝、8時に起きた。少し調子が良さそうなので、ホテルの裏のパン屋に出かけた。パン屋でクロワッサンのサンドイッチとコーヒーを買って食べた。そのままホテルに帰っても面白く無いので、散歩に出かける事にした。裏の道を歩くと、うなぎ、ふぐ、たこ等を水槽に入れて、料理をしている店が多くある。
「結構日本と似たような物があるなあ。これは日本から来たのか。それとも偶然韓国でも同じような物を食べていたかなあ」等と考えながら歩いた。
道端の簡単にできた温泉場で足を温泉につけている年寄りも多い。
少し山の方へ散歩に行った。1時間ほど歩くと、雨が降って来そうなので、ホテルに帰ることにした。
午後2時ごろチョウさんがホテルにやってきた。
「何か食べに行きましょうか?」
と言ったが、それ程お腹も空いていなかったので、
「じゃあ、裏の温泉に行きましょう。」
とホテルで経営しているホテルすぐ裏の温泉に行く事にした。温泉は日曜日で雨が降っていたので、混んでいた。この辺の人は、休日は朝、山に登って、降りてから、温泉に入って、その後この辺で食事をしてから夕方、家に帰る人が多いそうだ。
温泉は、色々とあったが、45度の比較的熱いお湯が背中の痛みに効いている感じがした。でも、あまり浸かっていて、倒れては仕方が無いので、すぐにあがった。寝そべって、ゆっくり浸かる温泉場所があったが、やはり、頭が後ろの枕の部分まで降ろせず、諦めた。
温泉からあがると、帰りに、チョウさんは、知り合いのマッサージ店のおばさんに、首の手術をした後、マーサージに来る人達のウリドウル病院の評判を聞いていた。特に新しい情報は無かったようだった。
痛み止めの薬は飲んでいたが、少し調子が良いので、
「チョウさん、ビールでも飲んで行きましょうか。」と誘った。温泉場の一階にはドイツビールがあり、そこへ行く事にした。
ビールを飲んでいる間中、チョウさんは、
「明日は、朝、ウリドウル病院に行き医院長に会い、その後で、釜山大学病院にも行ってみましょう。すぐに手術を決めないでも良いではないですか。色々と調べて、その間に漢方をやって、駄目だったら手術しましょう」
と随分消極的な意見を言っていた。やはり、固定術の手術には、かなり抵抗があるようだった。私も同意見だが、
「他に方法がなければやるしかないかなあ」とも思っていた。
こんな痛い状況を我慢する訳には行かない!」と。

ホテルに帰ってから、明日医院長に会った時に自分の考えを話した方が良いと思って考えをまとめようと思った。
チタンプレートの固定手術をするなら、日本でも出来るし、保険も適用になるから、時間が掛かっても日本の方が良いかと言う考えになっていた。それに、その方法だと入院が長くなるので、一人でここで手術をするとチョウさんに迷惑がかかりすぎるとも考えた。

まとめた結果としては、

① C6とC7の間のヘルニアを内視鏡、レーザーの手術で取り除いて貰いたい。
これを行えば、少なくても、3週間前の状態になり、1年半はその状況でモスクワで生活して来たのだから、生活のできる前と同じ状態までは戻れる。

② C5とC6の間の手術が必要なら、固定手術以外を考慮したい。(もし可能性があるなら)

③ 固定手術をするとしたら、質問がある。(省略)


の考えで面接をしようと考えた。

昨夜、投稿した「みんなヘルニア仲間」に誰かコメントでもしていないかとチェックしたけど、何もコメントは無かった。


みんなの椎間板ヘルニア闘病記のTOP

楽楽サイトのTOP