keikeiさんの頚椎椎間板ヘルニア闘病レーザー手術記

頚椎椎間板ヘルニア
50歳代男性 手術(韓国で内視鏡レーザー 頚椎椎間板ヘルニア切除術)(PECD)
 初めまして、私は、現在モスクワで働いているKeiKeiといいます。
2年前から米国での腰椎内視鏡手術、今回の韓国での頚椎、PECD手術と、
ヘルニアに悩まされてきていますが、とりあえず、現在は痛みの無い生活に戻りました。
同じような状況の方に少しでも参考になれば、幸いです。


   
モスクワ 救世主キリスト聖堂              レーニン館とクレムリン時計台


  2008年 腰椎椎間板ヘルニア 内視鏡手術。その2ヵ月後に頚椎椎間板ヘルニア発症



  みんなの闘病記


  楽楽サイトトップ



6月24日〜25日
モスクワ〜北京〜韓国



 6月25日
釜山ウリドウル病院へ直行



 6月28日
ウリドウル病院院長と面談
レーザー手術決断!



 6月29日
C6.C7内視鏡レーザー
頚椎椎間板ヘルニア切除術
(PECD)
6月30日退院

 2010年6月26日(No.2470) みんなヘルニア仲間3 掲示板投稿

[掲示板より]

 私は50代の日本人ですが、米国永住者で、2年前にミシガンで腰椎の内視鏡手術を受けました。

2008年の3月に酷い腰痛があり、MRIを撮ると、ヘルニアが発見され、ミシガンの脊髄専門医は、手術を勧めたのですが、我慢して6月まで色々と自力で治そうと努力をしました。
しかし、それが祟って、突然最悪状態になり、即手術をしました。結果は抜群に良好で、3月に手術をして置けば良かったと後悔する程でした。

ところが、手術後2ヶ月も経たない内に、左肩に痛みがあり、カイロプラクティスに行き、レントゲンを撮ると、C5/C6/C7の間が狭いと言われ、「また、ヘルニアか?」思い、医者に行き、MRIを撮ると案の定、ヘルニアが見つかりました。

しかし、ミシガンの専門医は、私の症状があまり酷く無いので、「少し様子を見ましょう。」と言って、手術はしませんでした。手術の方法については、何も話しませんでしたが、家族がテキサスに住んで居たので、テキサスに行った時にテキサスに脊髄専門医に見て貰うと、手術をするなら、C5,C6,C7の前方固定手術だと言われ、その説明を聞くと、恐ろしくなり尻込みをした程です。

しかし、痛みは、それ程酷くは無く、モスクワでの仕事のオファーがあり、モスクワ駐在を決断して、移動してから1年半が経ちました。3ヶ月毎のモスクワ、テキサスの長旅も問題無かったのですが、4週間程前に家内が日本に引っ越してしまった為に、テキサスに戻って、短期間に車、家具、家の売却の手配をしましたが、その為か首の痛みが増してきて、モスクワに戻ると、もう痛み止めを飲まないと通常の生活が出来ない程になっていました。

モスクワには、European Medical Center と言う外国人専用の病院があり、診て貰い、MRIを撮ろうとしましたが、痛みで首が真っ直ぐにならずに、MRIは撮れませんでした。
Internetで頚椎ヘルニアを調べている内に、韓国の脊髄手術が、日本、米国以上に進んでいる事を見つけて、仕事での知り合いの韓国人に連絡した所、釜山にウリドゥル脊髄病院があり、世界的にも有名だとの事だったので、直ぐに飛行機と病院の予約を取って、6月25日(金)に釜山に入りました。直ぐに、色々な手版を踏んで何とかMRIを撮影し、C6とC7の間のヘルニアがはみだしている事が今回の痛みの原因であると解り、これを治すのは、内視鏡手術で簡単に治るのだが、C5とC6の間のヘルニアが固まっていて、これを治すには、C6骨と椎間板を取り去り、人口骨を入れ、チタンプレートをビスで留める方法が良いと、担当医に言われました。

付き添ってくれたこの病院を紹介してくれた韓国人は、驚いて、彼の兄弟の内科医に相談したら、プレート固定手術は、後で後悔している人もいるから、良く考えてから行った方が良いとのコメントでした。

取り合えず、自分の考えてとしては、C6とC7の現在飛び出して、痛みを発生しているヘルニアを内視鏡手術で取り除き、様子を見ようかと思っています。6月28日(月)にウリドウル病院長と面談して、最終決定をする予定ですが、知り合いの韓国人は、彼の奥さんの知り合いの釜山大学病院にも行ってから決めたら良いのでは、と言ってくれています。今日は、釜山で有名な鍼にも連れて行ってくれました。効果はほとんど無かったですが。。。
もし、プレート固定手術しか方法が無いのなら、家内の居る日本に行こうかとも思っています。しかし、ここウリドウル病院の技術はかなりレベルが高そうだし、医院長が手術をしてくれるとも言っていて、今思案中です。


(掲示板に投稿された記事はここまでとします。以降、メールでの手記を掲載いたします。内容は一部重複する箇所があります。) 管理者:楽楽




サンクトベテルズブルグイサク聖堂


  2010年6月 モスクワ〜北京〜韓国釜山へ






サンクトベテルズブルグ
血の上の救世主教会























  6月24日(木)、モスクワ空港より北京へ、北京空港から韓国へ

 電光掲示板を見ると「北京行き」は8時40分のサインが出ている。
「やっぱりAir Chinaはいつも遅れる。」
7時45分出発予定便が55分すでに遅れている。天津OMGのZhangさんが、いつも文句を言っていたのを思い出す。10時間遅れで朝まで北京行きを待っていた事もあったようだ。北京での乗り換えは3時間半あるので、55分遅れで出発してくれれば、釜山行きに乗り遅れる事はない。
3時間も待ち時間が出来てしまったので、TGI FRIDAYに入って、ビールとハンバーガーを頼んだ。
相変わらず、左の背中から左腕に掛けての痛みが酷い。テキサスで医者に出して貰った痛み止めを一日2回から3回飲んでいるが、もう痛みはそれでは耐えられない位になってきた。ビールでも飲んで紛らわせれば良いのだが、なかなかそう上手くはいかない。ハンバーガーを食べながら、AATの島村さんにメールを出した。
「北京行きの飛行機が55分遅れです。」と、すぐに返事が返ってきた。
「心中、御察し致します。がんばって下さい。」
早く、韓国釜山で手術を受けて、頚椎ヘルニアを治したいと思った。

先週日曜日には、モスクワのヨーロピアン、メディカルセンターでMRIを撮ろうとしたが、
「痛みで頭が平らにならないのでMRIを撮る事が出来ません。」
と係りのロシア人に断られた。
そこに居る日本人の若い医者も頼り無い医者に見えたのでモスクワはすぐに諦めた。

出発2時間前になったのでチェックインの列に並んだ。荷物もそれ程は多くは無く、通常なら、チェックインしないで、機内でオーバーヘッドビンへ入れるのだが、今回はスーツケースをそこまで自力で持ち上げる自信が無いのと、乗り換えは一回で時間も十分あるので荷物が乗り換え出来ない事も無いと思ったので、スーツケースはチェックインする事にした。
昨日、飛行機の予約を取ったので、座席はボーイング767の後ろから6,7番目。それも通常の通路側ではなく、真ん中の内側。最悪。さらに座席に座ろうとすると、すでに座り込んでしまった65歳くらいの中国人のものぐさそうなおばあさんが、動こうとしない。私が、「座席に入れないから動いてください。」と英語で言っても、中国語で訳のわからない事を言って動こうとしない。若いフライトアテンダンスに言って、
「何処か他に空いている席は無いか?」と聞いたが、「このフライトは満席で空席は一つもありません。」
と言われた。仕方なくおばあさんを動かして貰って、座席に座った。暫くしても私のおばあさんと反対側に人が座らない。その一つ向こうの通路側には、中年の中国人おばさんが座っていた。その空いている隣の座席に移動しようとしたが、見ると一つ後ろの座席は、2つ空きがある。通路側も空いている。もう出発の時間で飛行機のドアも閉まったようだ。思い切って、後ろの通路側に移動した。その座席には誰も来なかった。
「フライトアテンダンスも面倒だから、いい加減な事を言っているなあ。」と思った。


 6月25日(金)

 飛行機は元の予定から約30分遅れで北京に着いた。少しスピードを上げて出発の遅れを取り戻したようだ。北京空港は今年4月に天津に仕事で行った時に来たので、立派な空港である事は知っていた。2年前の北京オリンピック直前に完成したので新しくて広々としていて、これが中国の飛行場とはとても思えない。モスクワの10倍くらい広い感じだ。
シートベルトのサインが消えると同時に、私のすぐ後ろに居たロシア人のオッサンが立ち上がって、通路を押して前に移動して来た。「なんて、ずうずうしい奴だ。」と思って。
「Oh My goodness!」
と小さな声で言ったつもりが聞こえたとみえて、彼は、
「Transit, Transit」と言い訳をしていた。私は、
「So, What? Me too.」
と言いたかったが、背中の痛みで言い争いをする元気もなかったので止めた。
乗客は何百人もいて、3人や4人前に出ても、全く意味が無いと思った。
飛行機がターミナルに着いてから、機内で30分は待ったと思う。飛行機の最後端なので、乗客が降り始めてから、私達の場所の人が降り始めるまで、かなりの時間が掛かる。ようやく、私達の順番になったと思ったら、私の前に居た中国人の中年男が荷物をオーバーヘッドビンから取り出し始めた。全部で6つ。
「ちょっと、機内荷物は2つまでで無い?」
とは思ったが、良く見ると2つは自分の荷物らしく、後の4つは、機内のDuty Feeで買った物らしい、大きなプラスティックバッグ。一つの袋にはチョコレートらしき物が少なく見ても30個は入っている。親戚、友達に配るのだろうか?
「まあ、それはどうでも良いけど、早くしてよ。もう。あなたの前は、ずうっと先まで通路は空ですから。」

すぐにトランジットに行った。モスクワからの機内で、「Transit, Transit」と騒いでいたロシア人のオッサンが息子らしき子どもと、私のすぐ前で並んでいる。
「全く、何の為に他の人を不愉快にさせたか解らないでは無いか?」と思う。
私の順番になりトランジットカウンターを通過しようとした。
「釜山行きのボーディングパスを見せて下さい。」と係官が言ったが、私は持っていない。係官が、
「チケットカウンターでボーディングパスを発券して貰わなければならないです。」
というので係官が指差した方へ歩いて行こうとすると客の一人が、
「そっちは閉まって居るから反対の方向に行け。」とかなり遠くの方を指差した。
もう一人の大きなバックパックを背負った若者もボーディングパスを持って無く、私と一緒に歩き始めた。広い飛行場の中で彼は、大きな荷物を背負ってどんどん歩いて行くが、私は殆ど荷物が無い状態で亀の子にみたいにゆっくりしか歩けず、彼がチケットカウンターについても、まだ私は30mも後を歩いていた。首は、もう真っ直ぐには立てては置けず右前方に傾けていないと背中の痛みが酷い状態だった。

韓国のアセアナ航空に乗り換え、釜山に着いた。アセアナ航空はエコノミーであるにもかかわらず、食事はちゃんと陶磁器の食器にステンレスのナイフ、フォークだ。サービスも良く行き届いている。
10分も待たず、移民局を通過。韓国の移民局は早い。後でチョウさんが、「世界で一番早い。」と言っていた。
世界で一番かどうかは解らないが、私の飛行場の経験からは多分一番だと思う。ただし、米国からメキシコに入る陸路の移民局は、信号が赤にならなければ何も無く、これ以上早い所は無い。

▲このページの上に戻る


(PRです)


         25日韓国釜山に到着後 ウリドウル病院へ直行



手術前のMRI画像
2010年6月25日
手術前のMRI画像
首が真っ直ぐにならないため
苦労して撮りました。


拡大です



















































  いよいよ ウリドゥル病院へ

 持っていた70ユーロと150ドル紙幣をウォンに換金してから外に出た。
午後2時半。客は殆ど無く、DIETECチョウさんが反対側の出口で待っていてくれたが、遠くからでも、見えるので、すぐに見つけられた。

ホテルに寄る事も無く、その足でチョウさんと直接ウリドウル病院へ。4時にアポイントメントが取ってあった。町の中の病院で10階から13階までが病院となっている。米国の病院のイメージとは大分違う。広い待合室に着くと、コーディネーターのHaさんが登場した。最初は彼女が医者かと思った。彼女は美人で頭はよさそうだったが、私の首の手術をするというのでは、「ちょっとどうかなあ。」と思えた。
コーディネーターというので安心した。彼女は英語が非常に上手だった。彼女の案内で、対応する医者の部屋に連れて行かれた。医院長は今手術をしているので、別の医者が対応してくれると言う。なぜか医院長が私を見る事になっていたらしい。その医者は、私が持って行った2年前のMRIのCDをコンピューターに映し出して、コメントをした。
「2年前にこの状況でどうして手術をしなかったのですか。その時に手術をしていれば、もっと簡単だったと思いますけど。」と言った。
私は、
「米国の医者は様子を見ましょう。と言って手術はしなかったのです。」と説明した。
「解りました。いずれにしても、今日検査をして、月曜日に医院長に会って決めて貰い、来週に手術になると思いますので、週末を少しでも楽に過ごせるように、痛み止めの注射をしてあげます。」と言った。
「痛み止めの注射?まさかステロイド注射ではないのだろうか?」
と思ったが、その時には聞かなかった。ステロイド注射はいままでに遣った事は無かったが、インターネットで何度も遣った人の記事を読んでいるが、凄く痛いわりに、「効果が無かった。」という記事がほとんどだった。
痛み止めの注射の場所に行くと、
「痛み止めの薬を入れるとCTが撮れなくなるのでCTスキャンを先にやります。」とHaさんが説明してくれた。やっぱり、ステロイド注射に違い無いと思った。CTは特に大きな問題も無く撮れた。そして痛み止めの注射へ。部屋に行くと、大きなX−レイらしき物が手術台の上にある。
「これは、ステロイド注射ですか?」
とその時に初めて聞いた。Haさんは難なく、「そうです。」と答えた。
チョウさんが、「何か問題ですか?」と聞いたので、
私は、「いやあ、ステロイドは痛い注射だと聞いていますから。」と答えたが、涙が出そうだった。
痛みで首が平らにならないので、高い枕を入れて貰って、台の上に寝そべった。胸の辺りを大きく消毒してから、医者は麻酔を打ち始めた。5,6本打ったと思える頃、いよいよ、ステロイド注射針を入れて来た。少しずつ針を入れて、患部に当たると、「痛いー。」と思わず声を張り上げた。
背中から、腕まで、左側全てにしびれが回った感じだった。続いて、第2段もすぐに行われた。同じような激痛が腕に走り、注射は終わった。

台から、降りたら、チョウさんが、
「どう痛みは少し良くなった?」と聞いた。
「冗談じゃないですよ。痛みは10倍になりましたよ。」と言いたかったが、
「うん、まだ、ちょっと解りませんね。」と答えた。

続いて、MRI。首が真っ直ぐにならないと、MRIは撮れないという事で傷み止めのステロイド注射をしたのだが、実際にMRIの台の上に寝ようとすると、ステロイド注射をする前と同じ位、頭を上げないと、とても、背中と腕の痛みをがまん出来ない。
「一体ステロイド注射は何の為にやったのだろうか?」と思う。
5人がかりで良い体制を作ろうとするが、良い案が無い。
私が
「尻を少し上げれば、頭はもう少し下がりますよ。」
と見せると、彼らは私の尻の下に枕を入れてくれて、何とかMRIを撮れる体制が出来た。この体制で20分との事だった。
多分大丈夫だとは思った。
何とか、20分後にMRIを終了。起き上がると同時に、チョウさんが入って来て、
「KeiKeiさん、こんな状態で今までよく我慢しましたね。ヘルニアで真っ白だよ。」
と言って来た。MRIを撮っている間に画面に写った映像について、若いMRI技師達がチョウさんに説明してくれたらしい。
C6とC7の間の飛び出したヘルニアが神経を押し潰して居て、千切れそうになっている部分がある程だそうだ。確かに痛みは結構酷かったとは思うけど、インターネット等でよく見かける、
「手が痺れて、握力が無くなった。」とか
「足が痺れて歩けなくなった。」
とかは無かったので、まだ、それ程は酷い状況では無い。と私は思っていた。
レントゲン撮影も終わって、また前の医者に検査結果を聞くために待合室で待った
Haさんに呼ばれて、医者の部屋に入るなり、医者は、
「大分状況は悪いです。どうしてこんなに成るまで放っておいたのですか?」と言う。
「まずは、C6とC7の間のヘルニア。これが現在の痛みの原因になっているが、これを取るのは、それ程難しくは無い。問題はC5とC6の間のヘルニア。2年前から在ったので、もう固まっている。これを取り除くには、C6の骨を取り除き、人口骨を入れ、首の前からチタンプレートを取り付け、ビス止めをして、C5,C6、C7を固定する方法が良いです。
「それほど珍しい手術でなく、前にやった人のMRIをお見せします。」と言ってコンピューター画面に出した。
喉の当たりにプレートと2つのビスが明らかに見える。何か人間の身体だとは思えない。と私は思った。Internetでも何回かは見た事はあったが、病院で私がその宣告を受けて、見るのとは大違いだ。

これを聞いていたチョウさんも、かなりショックだった様だ。
私は、同じ様な手術方法をテキサスの医者にも2年前に言われていて、ある程度、覚悟はして来たものの、
「ここの病院なら、別の簡単な方法で対処できるのでは?」
と期待してわざわざ、米国も日本も差し置いて韓国に来たので、少なからずショックだった。
医者は、「月曜日に医院長に判断して貰いますが、多分、医院長も同じ意見だと思いますよ。」と言った。
Haさんに「月曜日朝9時半に来て下さい。」と言われて、私とチョウさんは、「お先真っ暗。」と言う感じで病院を出た。
痛み止めの薬を出して貰ったので、1階の薬屋で買って帰った。
チョウさんは、「元気付けに焼き肉でも食べましょう。」と言って、炭火焼き肉屋に連れて行ってくれた。ブルコギがなかなか美味しかった。


  6月26日(土)

 午前8時にチョウさんがホテルに来た。朝ごはんを近くの店で食べてから、チョウさんは、「私の知っている有名な漢方に行きましょう。もしかしたら、そこで良くなるかも知れないから。」
と言う。車で乗り付けると小さな家で若い女性が2人で受付と血圧等の簡単な診察をやっていた。9時半頃になると、偉そうな人が現れて、診察室の方へ歩いて行った。先生らしい。私達の前に腰痛らしきおばさんの患者が息子らしい人と居て、息子にささえられて病室に入って行った。

約10分後に我々が呼ばれて、診察室に入った。チョウさんは、先生に韓国語で私のヒストリーを10分から15分くらい説明をしてくれて、先生は私に、「では、そのベッドに上向きに寝て下さい。」と言う。
「枕が無いと寝られないです。」
と私が言うと、先生は小さな枕を置いた。多分それでは駄目だろうと思ったが、その状況を見せようと上向きに倒れようとした。
ちょっとのどを詰まらせて、が出始めてしまった。これは、ヘルニアとは、関係なかったのだけど、先生は、ヘルニアから来ていると勘違いした様で、
「何で、こんなに悪くなるまで、放って置いたのだ。」と私に文句を言った。
「首を斜め前の方へ自分で引っ張ると少しは痛みが良くなるから、毎日やってみてください。」と言う。
先生が大きな手で、私の首を引っ張ると、腕がしびれる程痛い。手を離すと、またさらに痛い
「うーん。あんまり、よくなった気がしないのだけど。」と思った。

治療室の方へ移動させられ、チョウさんも治療を受けると言うので、隣り合ったベッドに座った。チョウさんは、横になったが、私は出来ない。先生は背中の痛む所にぼちぼちと鍼で穴を開け、そこから吸盤で血を吸い取っている。私は黒い血が出ていると言う。
それが、終わると、今度は鍼。なぜか、右の手に一本。右足に一本。左手に一本。それぞれ、5,6センチの鍼で、それが全て中まで入ってしまうので、恐ろしい。そんなに深くまでさして、大丈夫なのかと思う。その状態で40分。終わってから、チョウさんが、「どうですか?良くなりましたか?」
と私に聞いた。
「私はそうですね。少し良くなった気もします。」
とは答えたものの、実際には、それ程良くなったとは思えなかった

昨日のウリドウル病院の診察結果に基づいて、チョウさんは彼の奥さんや、兄弟の医者に相談したらしい。
チョウさんの奥さんは、
「釜山大学病院の先生を知っているので、そこで別の医者の話を聞いてみたらどうか?」
チョウさんの兄弟の医者は、
「手がまだそれ程しびれて無く、歩ける程度なら、まだそれ程は悪く無いから、漢方などをやって見てから効果が無ければ、手術に決めたらどうか。」
「背骨固定手術をして後で後悔している人もいるから、できるだけ遣らない方が良いのではないか。内視鏡やレーサーの手術なら大丈夫だと思うけど。」
等の意見を言ってくれたそうだ。私も前方固定手術には抵抗が無い訳では無い。

DIETECの事務所に向かった。DIETEC事務所には、李さん、高さん、金さんが出社していた。若い連中も2階に出社していた様だった。近くのうどんやで韓国風うどんを食べて、ホテルに帰った。高さんのお母さんが最近、病院でひざの手術をしたそうだ。私は、高さんに、
ひざなら、最悪足を切り取っても生きられるから大丈夫ですよ。首では切り取る訳には行きませんからね。」と変な事を言ってしまった。

夜になって、またInternetでヘルニア手術を調査始めた。
特に、Wooridul病院で、「前方固定術しか方法が無い。」と医者に言われたので、「前方固定術」を中心に調べた。
前方固定術をした人の多くは、「今まで我慢してきた痛みに比べたら、手術をして痛みが無くなってよかった。」だった。でも、記述が古そうなので、もっと新たしい情報をと思って探していたら、
「みんなヘルニア仲間」というサイトが見つかった。
誰でも良いから、少しでも、Wooridul病院とか前方固定術とかの情報が入ればと思って、投稿してみた。


  6月27日(日)

 朝、8時に起きた。少し調子が良さそうなので、ホテルの裏のパン屋に出かけた。パン屋でクロワッサンのサンドイッチとコーヒーを買って食べた。そのままホテルに帰っても面白く無いので、散歩に出かける事にした。裏の道を歩くと、うなぎ、ふぐ、たこ等を水槽に入れて、料理をしている店が多くある。
「結構日本と似たような物があるなあ。これは日本から来たのか。それとも偶然韓国でも同じような物を食べていたかなあ。」等と考えながら歩いた。
道端の簡単にできた温泉場で足を温泉につけている年寄りも多い。
少し山の方へ散歩に行った。1時間ほど歩くと、雨が降って来そうなので、ホテルに帰ることにした。
午後2時ごろチョウさんがホテルにやってきた。
「何か食べに行きましょうか?」
と言ったが、それ程お腹も空いていなかったので、
「じゃあ、裏の温泉に行きましょう。」
とホテルで経営しているホテルすぐ裏の温泉に行く事にした。温泉は日曜日で雨が降っていたので、混んでいた。この辺の人は、休日は朝、山に登って、降りてから、温泉に入って、その後この辺で食事をしてから夕方、家に帰る人が多いそうだ。
温泉は、色々とあったが、45度の比較的熱いお湯が背中の痛みに効いている感じがした。でも、あまり浸かっていて、倒れては仕方が無いので、すぐにあがった。寝そべって、ゆっくり浸かる温泉場所があったが、やはり、頭が後ろの枕の部分まで降ろせず、諦めた。
温泉からあがると、帰りに、チョウさんは、知り合いのマッサージ店のおばさんに、首の手術をした後、マーサージに来る人達のウリドウル病院の評判を聞いていた。特に新しい情報は無かったようだった。
痛み止めの薬は飲んでいたが、少し調子が良いので、
「チョウさん、ビールでも飲んで行きましょうか。」と誘った。温泉場の一階にはドイツビールがあり、そこへ行く事にした。
ビールを飲んでいる間中、チョウさんは、
「明日は、朝、ウリドウル病院に行き医院長に会い、その後で、釜山大学病院にも行ってみましょう。すぐに手術を決めないでも良いではないですか。色々と調べて、その間に漢方をやって、駄目だったら手術しましょう。」
と随分消極的な意見を言っていた。やはり、固定術の手術には、かなり抵抗があるようだった。私も同意見だが、
「他に方法がなければやるしかないかなあ。」とも思っていた。
こんな痛い状況を我慢する訳には行かない!」と。

ホテルに帰ってから、明日医院長に会った時に自分の考えを話した方が良いと思って考えをまとめようと思った。
チタンプレートの固定手術をするなら、日本でも出来るし、保険も適用になるから、時間が掛かっても日本の方が良いかと言う考えになっていた。それに、その方法だと入院が長くなるので、一人で、ここで手術をするとチョウさんに迷惑がかかりすぎるとも考えた。

まとめた結果としては、
1. C6とC7の間のヘルニアを内視鏡、レーザーの手術で取り除いて貰いたい。
 これを行えば、少なくても、3週間前の状態になり、1年半はその状況で、モスクワで生活して来たのだから、生活のできる前と同じ状態までは戻れる。

2. C5とC6の間の手術が必要なら、固定手術以外を考慮したい。(もし可能性があるなら。)

3. 固定手術をするとしたら、質問がある。(省略)


の考えで面接をしようと考えた。

昨夜、投稿した「みんなヘルニア仲間」に誰かコメントでもしていないかとチェックしたけど、何もコメントは無かった。

▲このページの上に戻る
  ウリドウル病院院長と面談・診察。レーザー手術決断!
  6月28日(月)

 朝、8時に起きて、昨日買ったカップラーメンを食べて、9時までにホテルをチェックアウトした。9時にチョウさんが迎えに来て、ウリドウル病院に向かった。
病院までは10分。9時15分には10階の病院に着いて、Haさんに会った。
病院長の部屋に案内されると、初めて、病院長に会った。50歳くらいの、少し白髪頭を想像していたら、なんと髪の毛の黒々とした若そうな人が部屋に座っていた。まだ30代後半か40代前半かと思えた。
(後でHaさんに聞いて解ったが医院長は48歳だった。)
Haさんは、
医院長は、「金曜日に診察を受けた医師とは違った意見を持っています。」と言った。
私は、「一体どう違った意見なのだろう?」
「もっと、大きく手術をしなければならないのだろうか?」
「それとも、少ない手術なのだろうか?」と思った。

医院長は、ゆっくりと話始めた。英語は使うのだが、それ程は上手ではない。でも脊髄に関する専門用語を使うので、ちょっと解らない所もある
医院長は、
「まずは、C6とC7の間で今痛みを発生させているヘルニアをレーザーで取り除きたい。」
「もし、それでも、痛みが無くならない場合は、後日、C5とC6の間はヘルニアの手術をする。そのヘルニアは固まっているので、固定手術をするのが良い。でも固定は2つの骨で3つではない。」
という意見だった。
「でも、多分、C6とC7の」間の手術だけで大丈夫だと思う。」
と言ってくれた。
私の書いてきた方法と近い状況だったので、私は100%賛成した。
Haさんが、
「良く考えて、夕方までに返事をしてくれれば、明日手術ができます。」と言った。
私はもう、考える必要は無いと思った。
チョウさんは、「KeiKeiさん、どうする?大学病院に行ってみるか?」と訊いてきたけど、私は、
「内視鏡レーザー手術ができるなら、ここでやりましょう。C6,C7のヘルニアの手術をしてから駄目なら、それからまた考えれば良いですよ。大学病院に行く理由は無いです。」と言って即決めた。すぐにHaさんと事務所に行き、同意書にサインをした。
Haさんは、「午後に入院して下さい。」と、部屋の鍵をくれた。

外で昼を食べて、荷物を持って、病院の11階の部屋に入った。エレベーターで11階に着く時、私が、チョウさんに、
「日本の有名な病院だと手術まで9年待ちだそうですよ。9年も待っていられるのなら、手術なんか要らないですよね。」というと、首にサポートをしていた、おばさんが隣で笑っていた。エレベーターを降りた所でチョウさんが日本語で、そのおばさんに、
「首の手術をしたのですか?人口骨をいれたのですか?良くなりましたか?」
と聞くと、
「ええ。でも、まだ10日だから、まだですよ。」
と答えた。やっぱり、
「固定手術をすると回復に時間がかかるのだなあ。」と思った。

通路を歩いていると多くの患者が入院しているのが見える。8人部屋から4人部屋などがある。
「うーん。隣に韓国人が居るのも今一だなあ。でもまあ、仕方が無いなあ。」
と思っていると、着いた部屋は一人部屋、ホテルの様だ。液晶TVはあるし、冷蔵庫、シャワー、コンピューターまでついている。隣で8人部屋に居る人には恐縮だが、やっぱりこの方が気楽だ。
もう、チョウさんには、居てもらっても仕方がないので、「チョウさん、もう仕事に戻って貰っても大丈夫ですよ。」
と言って、戻って貰った。Intgernetが在ったので、午後は看護婦が持ってきた病院着にも着替えずに、ソファに座って、Intenetをしていた。相変わらず、ヘルニア手術の調査を続けていた。とくにPECD手術と決まったので、Internetで詳細を調べた。てっきり、私は後ろから手術をすると思っていたのだが、Internetで調べたら、どうやら前から手術をするようだ。首を上に向けて。
首が上に向かないのに、私はどうするのだろうか?麻酔をすれば、首が上がるのだろうか?でも、それは、首の辺りだけで、腕には利かないから、腕にも麻酔をするのだろうか?でも、麻酔をして、無理やり首をまげたら、神経を圧迫していて、手術でヘルニアを取り除いても、腰椎の時と同じように、足の神経が麻痺して、筋肉が使えなくなったりもするのでは無いだろうか?」
等の不安が出てきた。
夕方になって、看護婦が手術着(病院着とは違う)を持って来た。着替えるのだと言う。あまり英語が出来ないので、よくは解らなかったが。
後で良いのかと思ったらすぐに着替えてくれと言う。よく理由は解らなかった。でも逆らっても仕方が無いので、着替えた。

8時ごろになって、DIETECの李さんがお見舞いに来てくれた。李さんは、
「KeiKeiさん、何か飲み物でも買ってきますよ。」と言うので、
「じゃ、すぐそこの病院の中にありますから、お願いします。」
と言うと部屋を出て行ったきり、帰って来ない。
その間に看護婦が来て、明日の予定を話していった。薬等の説明をだどたどしい英語で説明した。
直ぐ、李さんが帰って来ると思ったので、
「My friend will come in a few minutes please wait」
と言ったのだけど、理解しても貰えず、彼女は部屋を出て行ってしまった。
李さんは、ところが30分経っても、帰って来ない。
「一体何処まで飲み物を買いに行ったのだろうか?まさか、外にでたら9時過ぎなので病院に入れて貰えなくなってしまったのか?」と思った。
李さんの電話番号も解らないので、チョウさんに電話してみた。チョウさんに電話をするのと同時に李さんが部屋に入って来た。チョウさんと電話で話しながら。
なんと大きな買い物袋をぶら下げて、大きなジュース、水、ミルク、すしまで買ってきた。
「李さん、私は今夜、12時からは、水も食べ物も駄目で、明朝には手術、あさって退院する予定ですよ。」
と言った。明らかに荷物になると思った。でもせっかく買ってきてくれたので、すしを食べた。以外に美味しかった。

10時ごろ李さんが帰ってから、看護婦が抗生物質を注射しに来た。彼女はまだ20歳前後と思われ、経験不足な感じだった。抗生物質を左腕に注射しようとしたが、針が血管に入らず薬を入れようとして、私が
「痛い」と言うと、
「I am sorry。My friend will come. Because you are a foreigner.」
と言って部屋を去って行った。
何で外人だと、別の人が注射するのかちょっと疑問もあったが、明らかに私は特別扱いである事は間違いないと思った。
暫くすると、別の看護婦が来て、私の腕を見て、右の腕の中間くらいの血管を見付けて、上手く注射をした。すると、何故か、左の肩が少し痛くなったので、
ちょっと左の肩が痛い。」
そう言ったとたんに、彼女は、そそくさと部屋を出て行ってしまった。私は、
「そんなあ。看護婦に逃げられては、誰に訴えれば良いのかなあ。」と思った。
特に問題は出なかった。

▲このページの上に戻る
  6月29日、C6・C7 内視鏡レーザー 頚椎椎間板ヘルニア切除術(PECD) 6月30日退院









































手術(PECD)直後のMRI画像。痛みは無くなり、首も真っ直ぐ保てるようになりました。
6月29日
手術(PECD)直後のMRI画像

拡大です






















  6月29日(火) レーザー手術 (PECD)

 00時を過ぎた。もう水も食べ物も禁止だ。それは、たいした問題ではないが、どうも不安が残る。昨日は、何回か看護婦が、
「今回の手術で上手くいくとは、限りませんよ。駄目だったらもう一回、別の場所を手術しますから。」と言う。
「今回で治る可能性が低いのだろうか?」
と思うが、「解っています。」と答えていた。
また、Internetでの上手く行かなかった話などを読んだ記憶がよみがえってきた。多分眠ったのだろうが、眠りが浅い感じだった。
朝6時になった。
昨夜、抗生物質注射で失敗した若い看護婦が戻って来た。今度は点滴を持っている。私は何なのかと思って、
「What is it? Is it pain killer?」
と2回聞いたけど、理解して貰えずに諦めた。
私が右腕で良いか。と聞いて、右腕を出したら、
「Your operation is left so I need your left arm.」
と言われて、仕方なく左腕を出した。
彼女は、左手の甲に点滴を入れた。今度は成功だった。
「ああ、良かった。」と思った。
点滴が手に入るとなんとなく一人前の病人と言う感じがする。手術は今朝とは聞いていたが、時間がはっきり解らない。何人かに聞いたけど、誰も解らない。
チョウさんは、8時半ごろ病院に来て、Haさんに聞くと9時からだと言う。すでに9時5分。直ぐにでも手術室に入るそうだ。

直ぐに何人かの看護婦が来て、運搬用ベッドに私を載せ代えた。チョウさんが、手術室の入り口まで着いて来てくれた。そこからは患者と医者のみらしく、チョウさんが
「KeiKeiさんがんばって下さい。」と励ましてくれた。

手術室に入ると日本語を話す若者がいた。
「心配しないで下さい。」
「私は少し日本語が出来ます。」
「手術は少し痛いかも知れません。」
「痛かったら左手を上げて下さい。」
「手術は1時間掛かります。」
とか色々と話しかける。確かに、日本語はそれ程とは思えない。同じ事を何度も繰り返している。
「うるさいなあ。」
とは思ったがこんな場面で静かに何も言わないよりは遥かに良いと思った。
手術台に着いた。さて手術台への移動だ。4、5人で移動。頭を平らにしようとする。首は痛みで真っ直ぐにはならない事を伝える。
「どうして、何処に行っても患者の情報が伝わっていないのだろうか?米国の病院なら必ず情報は次の部署に伝わる仕組みになっているのに。」と思う。
枕を入れて貰う。でも、平らにしないと手術が出来ないという。私はまた腰を上げて、こうすれば、もう少し、頭を下げる事ができる。でも、全くの平らにはならない。でも、その姿勢で満足したのか、日本語のできる若者は、
「手術は1時間かかります。このままで一時間大丈夫ですか?」
と聞く。
「大丈夫だと思う。」と答えた。
手術室に居る人は全員若い。少なくても7,8人は居るが、どう見ても40歳を超えている人は一人も居ない。
私の顔はもちろんの事、手術場所以外の場所全てにカバーを掛け始めた。何回もテープで固定して、動かない様にした。右側を開けて、明らかに右側から手術をしようとしたので、
「私の問題は左ですよ。右でないですよ。」
と何度か繰り返した。日本語の若者は分かったのか、分からないのか、定かでは無かったが、
「大丈夫です。」と答えた。

米国なら手術時は勿論の事、ステロイド注射のような物でも治療をする時には必ず、担当の人が治療前に名前、生年月日、今どんな治療をしようとしているのか?等を患者本人に聞くシステムになっている。これは日本にも無いが、間違いを防ぐのには、良いシステムだと思う。更に、病院、特に緊急病院は、受付をすると手首に名前、生年月日が入ったバンドを付けられる。これも患者を間違えない様にする方法で良い方法だと思う。

医院長が来て、直ぐに手術に入った。
まずは麻酔から、少し痛みがあったが、これはたいした事は無い。7,8本麻酔注射をしたかと思うと、なんだか少し太そうな物が首に挿入されてきた。日本語の若者が
少し痛いかもしれません。」と言う。といきなり、ハンマーの様な物でこんこんこん、叩き始めた。振動が頭まで伝わって来た。何か針のような物を首の骨の中を通過させている感じだ。振動はするが、痛みはそれ程では無い。
また、若者が
「レーザーを始めます。少し痛いかもしれません。」と言う。

レーザーが始まった。何か、トントントン、いう感じがある。私は、レーザーは、静かで振動等は無いと思っていたので、ちょっと面食らった。10秒位は、問題なかったが、その後腕に痛みが走った。
「痛い。」と言って、左腕を上げようとしたが、左腕は多くのカバーがあり上がらない。
「全く日本語の若者はなんて事を言ったのだ。腕なんか上がる訳ないじゃあないか。」
仕方なく、
「痛いー!」
を繰り返した。
医院長はレーザーを一時止めた。4,5秒でまた、スタートした。また、15秒位で痛みが走り、
「痛い、痛い。」
 レーザーを止めて、休み。この繰り返し。

これを30分くらい遣ったと思うが、背中の痛みが全く無くなった。
「これは、ヘルニアを除去できて、神経への除圧が完了したに違い無い。」
と確信した。
「ああ、良かった。」と思った。
身体の緊張も解きほぐれて、筋肉の力も抜けた。医院長は、
「This is going to be a last process.」と言った。
「ああ、後は椎間板の周りをレーザーで綺麗にする程度か。」
と思った。
何か注射液みたいな物が背骨の中に入っていく感じがした。突然また、針で刺すような痛み
「痛い。」と言うと、
 ストップ。今度は、レーザー。トントン。と15秒。

また
「痛い。」
 続いて、注射針痛み。また
「痛い。」
 レーザー。
この繰り返しを多分40分位はやったと思う。


医院長が
「All done」と言って終わった。
顔や腕のカバーを全て、外した。私の上半身を起こしてくれて、
医院長は、
「首を後ろに曲げてみて下さい。」と言う。
「痛みは確かに無くなったが、首を後ろに反らすのは、どうだろうか。」
と思ったが、やってみた。かなり後ろまで曲げても 痛みは無い。「やったー!」と思った。
もし、C5,C6の間のヘルニアが少しでも、痛みに影響していたなら、痛み無しで、首は後ろには反らせないはずだから。

医院長の推測は「正解」だった。最高に嬉しくなった。

しかし痛い手術だった。Internetで、
「痛い痛いと手術中言っている内に手術は終った。」
という記事を思い出した。その時には分からなかったが、今ようやく意味が分かった。
「最初に知らなくて良かった。」と思った。

若者達は私を病室への移動ベッドに載せ替えだ。また4,5人でシーツごと大変そうに移動している。もう、私は、痛みが無く、一人で移動できそうだったが。

移動ベッドの上では、枕なし。平らに寝ている。MRIを撮影。今回はもう頭が全く平らになるので、問題は無い。
MRIは20分

「The operation went well. Everything looks good」
とHaさんが教えてくれた。
私は
「I can tell from my condition」と言った。

レントゲン。これも寝ている状態で撮ったが、起きても全く問題ないようだった。

その後病室へ戻った。病室のベッドでも頭が平らになるので、
「すばらしい」
2年半振りだ。2年くらい前に歯医者で頭が枕につけられなくて苦労した事があったのを思い出す。

食事が来たので、身体を起こして食事を始めた。Haさんは、
「起き上がっても大丈夫ですよ。」
と言った。私は、
「はい。多分、もうゴルフも出来ると思いますよ。」
と言ったら、Haさんは、渋い顔をした。
食事の後、夕べ眠っていないので、眠くなって眠ってしまった。いびきをかいていたような気がした。チョウさんとHaさんが傍で大分長く話しをしていた様だった。

3時間くらいは眠ったのだろうか。起きたら、もう夕方で誰も居なかった。凄く気分が良く、もう退院したい気持ちだった。
トイレに行きたくなって、点滴を見ると、ベッドの柱に掛かっている。移動式に掛かっていないので、バッグを手でぶら下げて行くしかない。バッグを手で取り、ぶら下げて、トイレへ。
小便をする為にバッグの高さは腰の辺りになった。小便は凄くゆっくりで3分くらいは掛かってしまった様だ。

戻ってソファに座って、暇なのでコンピューターでも遣ろうかと、ケーブルを自分のコンピューターに繋いだ。その時に点滴のチューブの中が血で真っ赤になって入る事に気づいた。バッグの中までは行っていないが、その近辺まで血が逆流している。
「なんかまずそうだなあ。」
と思ったので、緊急ボタンを押した。1分くらい時間がたったが何も起こらない。
「ボタンを間違えたのか?」
と思っていたら、看護婦の声がして部屋に入って来た。
点滴のチューブを見せたら、直ぐに解って、対処してくれた。そのすぐ後Haさんも部屋に来た。その頃から汗が出始めた。Haさんにタオルを取って貰って、水を貰った。少し気分が良くなったが、まだ汗は出ている。
別の看護婦が部屋に来て、
「急に立つとそういう事があります。」
と言う。ほかにもそういう人がいるそうだ。私は多分、点滴のバッグに血液が逆流してしまった事が悪かったのかと思ったが。
注射をしてもらって30分くらいで楽になった。汗も止まった。
その時チョウさんが部屋に入ってきた。多分6時ごろだったのだろうと思う。チョウさんもHaさんから話しを聞いて心配そうな顔つきになった。
7時ごろになって、DIETECの若者達5、6人が金さんとお見舞いに来た。私は直接に仕事を一緒にした記憶は無いが、電話とかで話した事があったりした人達かもしれない。チョウさんが
「見舞いに行け。」と言ったのかもしれない。

丁度チョウさんが部屋から出て行った9時に医院長のDr.Hwangが部屋に来た。今日は、私の後もずっと次から次へと手術を今まで続けていたらしい。午後4時には帰宅する米国の医者とは大違いだ。医院長は、
「MRIの結果は非常に良かったので、問題ないです。」
と説明してくれた。
「MRIを見てみますか?」
と言われたが、まだ夕方の件で気分が悪かったので、
「明日にします。」と答えた。

チョウさんが部屋に帰って来て今夜は泊まっていってくれると言う。確かにさっきの様な事が起こらないとは限らないので、居てくれたら、いざと言う時に助かる。
今夜は日本とパラグアイのベスト8をかけたワールドカップサッカーが11時からある。
11時20分になってもNHKではサッカーが始まらない。チョウさんは
「変だなあ。」と言っている。
「多分もう少しでないでしょうか。」
と私が言うが、チョウさんは、携帯のインターネットか何かで調べて、
「もう始まっていますよ。」
と言って、TVのチャンネルを回し始めた。
確かに始まっていた。サッカーは延長戦でも切りが着かず、PK合戦で日本は一人が失敗して負けた。残念だった。私は岡田監督のいつも苦虫を噛み潰したような顔が好きではない。日本のサッカー技能も良くはなっているのだろうけど、まだまだ、世界のbPには程遠い感じだと思う。チョウさんは、大きないびきをかいて、眠っていた。


 6月30日(水) 退院

 朝、チョウさんは、7時に起きて会社に出かけた。その後直ぐに朝食。あまり美味しくはないけど、食べないと元気が出ないので食べた。Haさんが来て、「今日はどうするのですか。」と聞く。
私は
「今日午後に退院したいと思っています。」
と答えた。
Haさんは、
「Wooridul病院の宣伝に協力してくれますか」と聞いた。
私は、「良いですよ。」
と言ったものの、ビデオカメラが着たので、
「ちょっと、それはー。」
とは思ったが、Haさんの依頼なので、やる事にした。
1分程度の私の体験を話した。終って、Haさんとカメラマンは部屋を出て行った。

どうやら、健康保険の利く韓国人を治療するより、現金ですぐに支払いをしてくれる外国人、特に、韓国にすぐ近くで比較的豊かな国、日本をターゲットにして居る事は明快だった。
「道理で、全てにおいて、私のここでの待遇は最高だった訳だ。」
と思った。

少し経って、Haさんが迎えに来て、医院長がMRIの結果を説明してくれるというので、Haさんと一緒に医院長の部屋に出かけた。
医院長は、
「痛い場所は無いですか?」と聞いた。
私は、
「痛い所は殆ど無いですが、左の人さび指の先端がまだ少しだけ麻痺している感じがあります。」
と言った。医院長は、
「それは、挿入したリガメントが4週間くらいで縮まると治ります。
と説明してくれた。私は、
「どうして、私のヘルニアは左側だったのに右側からアプローチしたのですか?」
と聞いた。医院長は、
「それは、左側からアプローチすると、喉があって上手く問題箇所にアクセスできないので右側から手術をしたのです。」
と言って、背骨の模型を示して、方向を教えてくれた。
「ああ、それで、Discの中を針が通過したのですね。その為にハンマーで叩くような事をやった訳ですか?」
と言ったら、医院長は笑って、
「そうですよ。」
と答えた。それと、
「手術の途中で何か液のような物を注入したように思えたが何なのだったのか?」
医院長は、
「後で、またヘルニアが飛び出して来ない様にリガメントを注入したのです。」
と言っていた。
そう言えば、そんな記事をInternetで読んだ事があったと思う。
私は「大変有難うございました。」
と言って医院長の部屋を出た。

自分の部屋に居るとチョウさんが11時半ごろ来た。支払いの準備が出来たというので、会計の所に出かけた。
会計は9,450,220ウォン。約8000ドル。CITI BankのDebitカードで払った。部屋に戻ってInternetで確認をすると、7,853.26ドルが引き落とされていた。決して安くは無いけど、早く仕事に戻れれば、その分で回収できるのだから、3ヶ月回復の手術より正解だと思う。
荷物を纏めて、帰る用意をしていると昼ごはんが来た。ちょっと見たけど、あまり食欲がわかなかった。

「チョウさん、行きましょうか?」と言うと、
「外で何か美味しい物を食べましょう。」
と言ってくれた。
Haさんと2人の看護婦が見送りに来た。看護婦は
「言葉が上手く通じなくて、申し訳ありませんでした。」
とHaさんの通訳で言った。
私は、
「大丈夫でしたよ。問題ありません。色々と有難うございました。」
と言って部屋を出た。
Haさんが荷物を持ってエレベーターの下まで来てくれた。
1階のエレベーターでHaさんと握手をして別れた。先週金曜日に病院に始めて来てから、退院するまでずっとHaさんに面倒を見て貰って、助かった。


玄関から入ってくる久しぶりの直接、日差しが眩しかった。

▲このページの上に戻る


「みんなヘルニア仲間3」 掲示板に投稿していただいたKeiKeiさんの闘病記です。
                                        管理者:楽楽


闘病記=Web日記より-ツワブキさんモチヅキさん 闘病記=HTML-とつさんkeikeiさんサトルさん
てんそばさんGANさんおれんじさんキティさんれいこさんkuniyさんあんずさん


みんなの椎間板ヘルニア闘病記のTOP 元気になる掲示板 楽楽サイトのTOP


Copyright (C) 2001 楽楽の頚椎椎間板ヘルニア・腰椎椎間板ヘルニア&ウオーキング All Rights Reserved